私の残念な子育て

私には、生きるのがとてもつらかった時期があります。

毎日、明日なんか来なければいいのに・・・と思っていました

私は親から出来ない子、ダメな子、と言われそれを真に受けて育ちました。

そして、ダメな私に相応しいダメな夫(失礼)と喜んで結婚しました。そんな私と夫の子育ては最悪。

両親に反対されて結婚したのもあり、とにかくちゃんと躾けなきゃ!と一度出来たこと、例えばボタンが自分でかけられるようになったり、靴が自分で履けるようになったりすると、「自分で出来るでしょ?甘えないでよ」と二度としてあげる事はありませんでした。

境界知能という発達障害もあったので我が子だけ出来ない事にイライラし、いつも子供を否定、批判、非難ばかりしていました。

 

長男の非行

 そして甘える事の出来なかった長男は当然非行に走っていきました。当時、長男は中学生、次男は小学生だったと思います。

その時は、家の中も心の中も言葉通り相当散らかっていました。

私は子育てが上手く出来なかった自責の念から、逃げるように仕事に没頭していました。

長男は学校ではオール1、答案用紙は丸めて池に投げ、授業は妨害し、週に3回は学校から電話が入る。

友達を何度もケガさせ、謝りに行くことも。

毎日のようにかかってくる学校からの電話、

いつも誰かに後ろ指を指されているような感覚の強迫観念

不眠症になり、味覚障害になり、時間配分も、お金の計算すらも出来なくなっていました。

次男は自分で起きて、菓子パンを食べて学校に行くような有様でした。栄養士の子なのに、朝食調べで菓子パンと書いたと聞いた時は恥ずかしくてどうしようもない気持ちでした。

ダンナからは、飯ぐらい作れ!と罵られましたが、味覚障害のため甘みや塩味以外は舌が麻痺してわからなくなっていました。

献立を立てようにも何も思い浮かばない。

スーパーをグルグル何周廻っても、何を買って良いのか全くわからない状態でした。眠れない、食べれない、考えられない、動けない・・・

階段も手摺りに捕まってでないと上がれなかったので、

当然、家の中もグチャグチャでしたし、夫婦仲も険悪でした。

ダンナは子育てから逃げ、母からもこういう子はウチにはいなかったから知らないと言われ、一人で子育てを背負っていました。

死んで楽になりたいと思うようになり、大型トラックを見ると、暴走運転してくれないかなーという妄想ばかりしていた。

ちなみにこのころ長男も同じことを思っていたそうで、死に方まで同じ妄想をしていたのかとびっくりしました。

毎日が苦しくて、苦しくて今思い出しても苦しくなります。

 

次男を見て思いとどまれたこと

そして、ノイローゼで心療内科に通うようになりました。

何度もお友達にケガをさせたり、精神的にも傷をつける長男を見て、子どもを殺して自分も死にたい。と思うようになりました。

この子をこのまま放っておいたら今に取り返しのつかない事になる。そうなる前に私が産んだ責任で私の手でこの子をこの世から抹殺しなければ…と思うようになりました。

何度も長男の首に手をかけようと試みました。でも本当は可愛い我が子、寝顔はとても可愛いのです。

何度か目にまた出来なかったとトボトボと自分の寝室へ帰って行ったとき、ふと次男の部屋で寝ている次男をみかけました。そこで、朦朧とした頭の中でハッと我に返り、びっくりするくらい冷静に考えられる自分がいました。

私が長男を殺して自分も死ねば自分も楽になる。でもそうすると次男は母親と兄を一度に亡くし、更に何も悪い事をしていないのに次男は犯罪者の子どもとして生きる事になり、それでは次男の一生がダメになると思い、これはまずいと思いとどまりました。

次男のおかげで長男を殺す事はやめる事が出来ましたが、問題が解決されたわけではなく、事態は良くなりませんでした。

 

そんな長男も野球だけはずば抜けていたので、高校は愛知の強豪校に特待で入学。でも、結局タバコが見つかり退学に。

窃盗、恐喝などここでは話せないくらいの悪事を働き、私はどんどん病んでいきました。

不安神経症、いわゆるノイローゼで心療内科に通っていた私は、抗不安薬と睡眠導入剤が手放せませんでした。

薬が切れると強い不安が襲ってきました。病院でカウンセリングを受けると、とても気持ちが楽になるのですが、次の予約までとても待てません。苦しくて辛くて、でも予約までひにちがあると、いつの間にか病院の駐車場に行き、2時間でも3時間でもずーっと病院を見つめる私がいました。見かねて看護師さんが先生の診察をしてくれた事もありました。

そして、同時に霊能者の先生にすがるようになりました。

お祈りをしても、般若心経を書いても、一向に事態は良くなりません。遂には霊能者をも恨むようにもなりました。

 

心理学との出会い

出口の見えない子育てに苦しんでいた時、片付けと心理学に出会う事が出来ました。

心理学は私に生きる希望を与えてくれました。

自分がいかに愚かな子育てをしていたかを知ることが出来ました。

そして自分がいかに自分を大切にしてこなかったかという事がわかりました。

何をやっても認めてもらえなかったり、弟だけ可愛がる理不尽に怒りを覚えたり、いつも認められたいとナニクソ根性で頑張ったり、常に誰かを批判したり、マイルールを作ってそれを人に押し付けてきた私の人生が、そうやって鎧を着ないと生きてこれなかったんだとわかり、もうこんな鎧を着なくてもいいんだと思えるようになりました。

母については、私のとんだ勘違いだったこともわかりました。本当に私の事をダメな子だと思って育てたわけではなく、叱咤激励をしていただけなんだと心理学を勉強して気づくことが出来ました。

我が子が本当にダメ人間とか、不幸になれなんて思う親は誰一人いないのは冷静に考えてみればわかる事ですよね?

でも私、四十数年間勘違いしっ放しで生きてきたのです。

 

今は子育てのやり直しをしています。テレビドラマのように、ドラマチックな展開も、一発逆転ホームランもありません。

地道にコツコツとスモールステップを踏んでいます。長男を信じて、長男を本気で愛して行こうと思っています。

 

私は心理学を学んで自分自身が本当に変わることが出来ました。心は軽くなり、自分の価値を見出し、幸せが何であるのかわかるようになりました。人生を楽しく豊かに生きています。私の問題は霊能力や占いでは解決しませんでした。

こんな私のしくじり先生のお話しを最後まで読んで下さってありがとうございます。

そして、私の子どもほど非行じゃなくても上手く子育てが出来なかったり、人間関係や仕事や家庭が辛かったりしている方に寄り添って行きたいと思い、人生が180度変わる、モノが片付くと心がととのうととのえを開業しました。