「 悲劇のヒロインから喜劇のヒロインへ」
~感情の思うままに行動し被害者意識だった私が、心理学を学んだ事で自分を見失うことなく明るく前を向いて生きられるようになりました。人生の出来事に対して、心理学の方程式に当てはめる事で、絡み合った問題を解決し生きづらさを生きやすくする方法を導き出す事ができたのです。
1.【自己紹介】
名古屋市緑区から来ました、佐藤 久美子と申します。
今現在夫と2人の子供と4人暮らしをしています。
4年前に姑と8ヶ月同居していました。
私も離婚経験者です。
今思えば前の夫との間でも、よく言い争いをし、コミュニケーションが上手く取れず結論離婚をしました。
前の夫は子供が欲しいと話をしていましたが、自分は、まだいらないといい、資格を取りたいからと子供は断っていました。
自己主張が激しく協調性もなく、集団での活動がうまくできずにいました。
そんな自己中心的でわがままな生活をするある日、好きな人ができたからと突然前の夫から離婚を突きつけられ、食事も喉を通らずバナナ1本を無理矢理口に入れ、仕事に行き体重もみるみるうちに減っていき、夜間も十分に睡眠が取れず心療内科に通い安定剤を処方してもらったこともあります。
その時の感情は、ある日突然目の前が真っ暗になり、一人でご飯を食べ、生きた心地がせず、笑顔もなくなり夜が来たらベッドに横になり、朝が来たら仕事に行くだけの抜け殻のような生活をしていたので、感情もなくロボットにでもなったかのようでした。
幼少期は、天真爛漫でアウトローで束縛は嫌いで、自由放任主義で育てられたと思います。
両親は、公務員で父親は5時半には帰宅し母の家事手伝いを率先して行い、そんな環境で育ったため夫が妻の手伝いをするのは当たり前の光景でした。
夏休みや冬休みなど学校がお休みの期間には、旅行に連れていってもらっていました。
とても幸せな幼少期をすごしていました。
現実的な話に戻れば、今の夫は朝6時半には出勤し帰宅は22時になり、全部の育児や家事をワンオペで行っています。
理想と現実は大きくギャップがあります。
今の夫が長男というのもあって、結婚前に俺は長男だからいつかおふくろと一緒に住むことになるけどとは言われていました。
その感覚は、昭和的な価値観や時代背景が大きく影響して夫の中で長男が実母の面倒をみるという歪んだ正義として捉えていたのでしょうか?
私も夫から言われて、疑問に思うことなく同居の困難さも想像もせずに、引き受けていました。
介護業界にて仕事をしているのもあって姑と一緒に住むのには抵抗はなくそして旦那も自負があって私なら同居を引き受けてくれるであろうと思っていたのでしょう。
そして同居をよく考えもせず話し合うこともせず、簡単に引き受けていました。
そして、子供たちを巻き込み、8ヶ月の同居と夫の親戚との決裂いう苦悩の日々が始まったのです。
2.【当時の悩み】
冒頭のサブタイトルでも触れましたが、今までの私は、自分の感情に一喜一憂し被害者意識になり、その怒りの矛先を相手にぶつけてトラブルメーカーでした。
心理学を学ぶ前は、子供たちと片付けや勉強の事について感情をコントロールできず頭ごなしに支配しようとしていました。
「何度も言わせないないで!」「何度言ったらわかるの?」と頭ごなし自分の感情をただ吐き出して、スッキリした気持になっていただけでした。
特に長男は、私に対して反抗し物にあたりリビングは物が壊れたり、物が飛んだり、その様子を見て長女が泣き出したり心休まるはずの空間が、怒りや悲しみが飛び交っていました。
同居になった姑との関係性も日にちを重ねるごとに悪化し、当時は仲良くしなくてはならない、するべきだと自分に見えない鎖をかけていたと思います。
姑との会話も当たり障りのない会話をし、同居のルール決めも行わず時間だけが残酷にも流れていきました。
姑は大好きな亡き夫の仏壇に手を合わせ、毎朝毎夕線香をあげる習慣があり、毎朝毎夕線香をあげ、両手を合わせていました。
引っ越ししてきてから間もなく2週間ほど妹と九州のお墓参りに行くため不在にする代わりに、嫁の私に毎日やるのが当然といったかのように私にあなたがやりなさいと話したのでした。
当時の私の心の中では、「何故私が?」「自分の息子に頼めばいいのに」などと言った感情がありどんどん不満が溜まっていくのでした。毎朝の子供たちの見送りを、私を差し置いて自分が買って出て、まるで自分が母親のように玄関先で見送るのでした。
当然私の心境は、なんて図々しい姑なのだろうと怒りにしかならず言葉にもできず、夫にも言えず不満が募っていきました。
姑の中では、正義を貫き通しただけだったと思います。
長崎出身の姑は、大家族であったようで、一番上の姉であった姑は母親が忙しくてできないことを(下の子の面倒)自然にしていたのかもしれません。
クリスチャンであった姑は、恐らく毎週日曜日に教会に行きミサを家族で出席していたかもしれないので、その信仰心が当たり前にあったことは、私にとって異例な事に映ったかもしれません。
ある日は、私が買ってきたお昼ご飯のお弁当の中に食べたらお腹を壊すという惣菜が入っていたらしく、文句を私を目の前にして告げるのでした。
言われた私は、「そんなの知らんがな!」と心の中で叫んで怒りが湧いていました。
もうそのころ私の心境は、大分姑に対して怒りが蓄積されていたと思います。
夫には、小出しにして話をしていましたが仲裁を取らざるを得ない立場だったとは思いますが、私の肩を持ってくれているというような気持ちにはなれず、不満が解消されることはありませんでした。
当然勝手にマザコン息子というレッテルを旦那に張り付けて敬遠していました。
その頃は仕事場が癒しの場所で、姑がいる自宅での私は気を休めることができずに戦場での戦士のようでした。
早く仕事に行きたい一心で、自宅を早めに出発したり、退社時間になると帰りたくない病になったりしていました。
姑のことが目の上のたんこぶの存在で、カット野菜(防腐剤入り)を購入し夕食のメニューに付け加え子供たちに食べさせるのが嫌で、無知な姑が許せませんでした。
それには、私なりの理由があり防腐剤が入っているのは子供たちに食べさせてしまうのは、体に良くないという理由でした。
姑からしたら、悪気もなく使用していたのだと思います。
仕事から帰宅したある日、台所に姑が刻んだニラが切った状態でざるに置いてあり玄関のドアを開けた途端に吐き気がして自分の部屋にとっさに駆け込んだのを覚えています。
もう心を通り越して体も受け付けない状況になっていたのだと思います。
結局その日は、夫が2階の私の部屋までお粥を運んでくれました。
その後も、愛する夫の墓参りや命日のお経は絶対で、家族全員が強制的に行うように仕向けられ家族や親戚一同が参加するようになっていました。
3.【姑が許せなくて別居】
悩みや問題をそのままにしていたら、決定的な出来事がありました。
姑がお腹が空いた子供たちに、塩味の強いカップ焼きそばUFOを2連続おやつに出す事が許せなくて、私が紙に「塩味の強いおやつをあげないで下さい」と姑の部屋に投げ入れたら直ぐにリビングにやってきて、姑が声を荒げて私に反論し怒鳴りちらすのでした。
目の前で繰り広げられた惨劇に、子供たちは呆然とするのでした。
気づいた時には、私もその事実に呆然としていました。
今思えば、人間として、親として取り返しのつかない事をしてしまいました。
そして、ついに決定的な出来事があり日曜日の夕食を私が一人で5人分がんばってつくったあと18時頃夫と姑が2人で揃って何も言わず自宅を出ていきました。
「夕食を作ったのだけど、食べないなら最初から言っておいて!」と声を荒げる自分がいました。
その行為自体が裏切り行為に捉えていて、作った人の恩を仇で返す事は許せませんでした。
その怒りの声も二人には届きませんでした。
それから、夫との関係性も悪化し愛情も冷め離婚も考え実家に帰ることも考えました。
私と夫との間や姑との関係性の亀裂に、子供たちは戸惑っていたと思います。
でもその当時の私は、どうすることもできない状況で、罪滅ぼしの仕方や、関係性の修復の仕方も、子供たちへの心の修復の仕方もわかりませんでした。
平日夕食の時間は、姑と子供たちと私と同じテーブルに顔を突き合わせて食べることは無くなりました。
それを境に、家庭崩壊し家族に笑顔は消えてどん底の状態になりました。
同居生活の継続は困難になりある日旦那に、もうこれ以上一緒に姑とは生活できないと告げました。
遡ること、私たちが結婚間近の時、一人暮らしになりうる姑を義理の兄が呼び寄せ、姉夫婦との同居を12年間おこなった結果、上手くいかずに我慢をため込んでいたのでしょう。
ある日夫の姉や義理の兄が旦那の所へそれぞれが別々に相談に来て、もうこれ以上姑と一緒に住むことはできないと訴えたそうです。
残念なことに、私は、その席に呼ばれることはなく除外されていました。
その会合の中に入りたいと訴えもせず。実の娘とのそりは元々合わない関係性であったので上手くいくはずなかったかもしれません。
私の心境は、相談が私になかったことに対して寂しいのと怒りと疎外感という感情が混在していました。
同居になれば、間違いなく私の肩に負担がかかるのは想像すればわかることではないでしょうか?
結果、夫は姑を呼び寄せ姑との同居が始まって4ヶ月程して私の中の姑への不満が爆発し、義理の姉の所へ押しかけて一方的不満を爆発させ親戚の縁もズタズタにしていました。
姑の妹にも電話をして、一方的に不満を話し自分の正義だけ押し付け気分だけ晴らして関係性をズタズタに引き裂き、旦那にも一言も前触れもなくそのような事を勝手に行動をしたので「何をしてくれるのだ!いい加減にしろ!」と怒られました。
でも私は自分がしたことの状況も理解していなかったので怒られても何とも思わない心境でした。
自分自身を振り返ると、認知の歪みもあることに気がつきました。
物事を「白か黒」「正しいか正しくないか」と両極端にしか考えられない傾向がありました。
友人にもグレーもあるよと言われた事がありました。
その時は、グレー?何の事?と理解できずにいましたが、よくよく考えてみたら、世の中のほとんどの物事は、グレーでてきているのだと思います。
そのような考え方をしてしまえば、当然少数派になり自分を苦しめることにつながってしまうのだと。
色々な人がいて、色々な価値観があり十人十色のやり方があり認めつつ、話をすればいいのであって、正義か悪かきめつけなくてもいいのです。
当時の私は、そのような思考の癖があることも分からずにいたので、全部他人のせいにして悲劇のヒロインになって自分を苦しめていたのだと思います。
4.【心理学で気づいた事や学んだ事】
そんな毎日のある日、豊田のほっと館の地域の催し物のチラシコーナ-で、奈美さんの1日限りのワンコイン講座に参加し心理学を学ぶきっかけになり、申し込みをしました。
以前から心理学や脳科学などの分野には興味があり、色々な文献も読み漁っていました。
心理学を学ぶ前は、相手に話す言葉を自分の感情の鬱憤晴らしだけで発言していました。
当然それでは相手には感情だけが残り怒りや憤りだけしか残らず、不快感を残すだけで関係性にヒビが入りました。
子供たちとの間にも、子供たちの話も聞かずに「勉強はやったの?」「靴下が散らかっているでしょ!」など、感情に任せて言いたい放題にしていました。
結論いつも怒ってばかりの母親になっていました。
そのような事を、繰り返していくだけの毎日でした。
カウンセラー養成講座では、山本 五十六(日本の元師海軍大将)の言葉が授業ででてきました。
子育てのヒントに、その言葉に感銘を受け自分の子供の育て方を見直しました。
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は育たず。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
自分は、先回りして子どもの芽を摘んでいないか?耳を傾けているか?
心理学では、youメッセージとI メッセージのという一つの事を伝えるにも、二通りあるとしています。
相手に動いてもらうには「ママは、仕事から帰ってきて散らかっていると・・」と自分目線で話をした方が伝わりやすいとしています。今では、子供たちに怒ることもなくなり子供は自分から少しずつ片付けることができるようになっています。
姑や親戚との関係性は、心理学を勉強したあとの出来事なら自分の心に問いかけることもできただろうし、いちいち出来事に対して一喜一憂することもなく物事に対処できる技術として実行しうまく出来たと思ってなりません。
息子や娘や夫との関係性も良くなり、息子の言葉で「ママの考え方は、自分にとって良いと思うからママの方が好き」と息子に言われたり、娘と出かけると「ママと話をすると楽しいからいくよ」といわれたり、嬉しい言葉をもらいました。
母親が笑顔でいられれば、子供たちも安心して過ごすことができ、みんなが幸せな気持ちになり伝染していくのだと思います。
自分が心理学を学んで何を手に入れたかというと、家族にとって幸せな生活に必要な要素を学ぶ事ができたのだと思います。
例えば、心理学では認知行動療法というものがあり、社会に出るとなおのこと色々な人がいて、皆さんも実感されているとは思いますが (例)会社の人がその日はいつもと違う様子。無言で一日一言も話をしなかったという事実がある。
心理学を学ぶ前の私は、A「なんで何も話をしないのだろう?何か私やらかした?」といった具合に私の心にストレスがかかり、勝手に妄想を膨らませて仕事に集中できずに、結果負の感情に支配されて一日を終えることになる。
認知行動療法では、出来事に対して幾つかのフィルターの中から自分が自動思考(※いつも自分が自動的に選ぶ思考)を思考のフィルターを別の選択肢に置き換えると、B「体調が悪くて話をしないのかも」C「昨日嫌なことがあったのかも」などと課題の分離(※誰の問題か選別すること)をおこない自分の心から一旦俯瞰して物事を見て問題解決するという事を学び、今までのように自分がコントロール出来ない事まで悩みに悩んでいく事が無くなりました。
限りある時間を有効利用することもできなくなり、その悩む事が時間の無駄になり、自分自身の心を摩耗するだけになるのです。
だとすれば、少しでも多く幸せな時間や笑顔ある時間を過ごしたほうが、一度きりの人生であるゆえそちらを選択したいと思います。
もし姑との同居の話が出た時に、心理学を学んだあとなら認知行動療法を使って今までの自分ならば長男の嫁だから、夫から同居の覚悟を言われていたからと自己犠牲の上の同居の考え方を変換して、一人暮らしの生活ができるかできないかみんなで話し合い検討して、まずは姑のマンションをさがしてみるところから話をもっていくことも選択肢として広げる事ができたと思います。
そしてスープの冷めない距離ならば、お互いに関係性も悪くすることもなく、親戚関係も良好のまま子供たちにも悪い影響もかけずに済んだのではないかと思います。
5.【心理学を学んでいなかったら、いつもと同じように悲劇のヒロインを演じ続けていた】
心理学を学んでいなかったら、感情の思うままに行動し被害者意識を引きずり一喜一憂していつもと同じ悲しさや怒りに支配された不幸な人生を送っていたに違いありません。
今までの不幸な自分の人生の繰り返しをして、その都度悲劇のヒロインになって馬鹿馬鹿しい人生を送り棒に振ることになっていたと思います。
変わりたいと思っていても変われなかった自分がなぜ変われたのか?
それは、いつまでも悲劇のヒロインを演じるのは嫌だ、人生を幸せに生きると強く思い、その手段が心理学であると確信したからです。
心理学であなたも変われます。
誰の人生の舞台なのか、雄一無二の自分の人生劇場です。
そして、主人公は自分自身なのです。
幸せなヒロインを演じるのも悲劇のヒロインを演じるのもあなた次第なのです。
もしあなたが以前の私のように辛いことの中でもがき苦しんでいる悲劇のヒロインならば、一度心理学を学んでみませんか?
きっとこれからの人生が少しずつ変わってくると思います。誰かに幸せにしてもらうのではなく、自分の幸せな人生を切り開いていくのです。
私は、昔も今も変わらずにある核心としてあるのですが、仕事を通じて人を幸せになる手助けをするために、変わる勇気を持つことの大切さや、幸せになるための技術をまず知ってほしいと思います。
本気でその人の支援者として人生を生きる人の伴走者として生きていきたいと思います。
子育てをするのも、友人と関わるのも、仕事での人間関係も、夫との夫婦の関係も、自分の心がベースにありコミュニケーションに繋がり、そこで笑顔が生まれ良好な人間関係の構築に繋がります。
私もまだこの先色々な出来事が待ち受けている人生を、いつも自分の心の状態を確認していき、心理学を学んだ自分なら出来事に対してしなやかに対応できる技術を身につけられている自信という貯金ができているように思います。
安心して、心穏やかに幸せな人生を歩んでいきたいと思います。
最後にこのような形で、原稿を通して人生観を整理する事ができ、発表できることに感謝致します。奈美さん始め並びに、ととのえ心理学の関係者のみなさんありがとうございました。
6.【終わりに】
本日は「感情の思うままに行動し被害者意識を引きずり一喜一憂していた私が、心理学を学んだ事で、自分の中にある歪んだ捉え方や行動を見直し他者とのコミュニケーションを通していい関係性を保つ事ができ、自分を見失うことなく明るく前を向いて生きられるようになりました。」というお話をさせていただきました。
心理学を学ぶ事で、心の豊かさや幸せを手に入れる事ができました。
自分が変われば、必然的に周りの環境も良くなり言葉を選びながら、子育てや人間関係も楽しんで行けると思います。
学校では教えてくれない幸せな人生を送るのに大事な事、みなさんも一緒に扉をあけませんか?
今までの自分から卒業し、どんどんアップデートしていきましょう。
一度きりの人生を、謳歌させて人生劇場の最終章に「楽しい人生だった。なんと素晴らしいことだ!」と満足して笑って最後を迎えたいと思います。
以上で私の発表を終わります。
ご清聴ありがとうございました。


