心理カウンセラー認定試験(第6期) 受講者の発表4

「  コントロールから共感へ 〜母親の心理的変化〜」


友達の悩みに寄り添える人になりたいと思って受講した心理学でしたが、学んだ事で私の心の中でもやもやしていた過去の育児の後悔が、1つずつ整理整頓され、自然に心の痛みが消えてなくなったという話をします。

 

 自己紹介 

私は蒲早苗と言います。中津川市に住んでいます。
現在6人家族ですが、元々は7人で、夫と車椅子の義父.義父の世話をする義母、ダウン症の長女、そして長男、次男です。                

義父は12年ほど前に亡くなりました。

現在、長女25才、長男社会人、次男高3です。

 

夫は家族のために一生懸命働いてくれ、子供達の学校の事、習い事も頼めば協力してくれました。

長男、次男が小学生の頃サッカーを習っていた時は、試合のために、審判の資格を取りました。とても協力的でありがたかったです。

しかし、家事に関しては昔も今もあまりやるほうではありません。

 

私が心理学を学ぼうと思ったのは、友達の力になりたいと思ったからです。

2024年1月、久しぶりに彼女と会いました。それから時々出掛けたり、ご 飯を食べに行ったりしました。

何回か会って会話をしていると、彼女の言動がとても気になってきました。

              

周りの人の視線が気になるとか、家に居ても誰かに監視されているようで落ち着かない、など常に不安そうでした。

引っ越しをしなくてはならないと言って、車内に荷物がたくさん入っていた事もありました。

このままにしていてはいけないという衝動にかられ、ととのえのホームページから心理学講座の申し込みをしていました。

何かを始めるには勇気が必要で、なかなか決断するにはいつも時間がかかるのですが、この時ばかりは即決でした。

 

私は専門的な事は分からないが、どんな心理状態なのか、どうしてそう思うのか学びたいと思いました。

彼女の気持ちが少しでも楽になるようなアドバイスができればと考えていましたそんなきっかけから心理学を学んだのですが、学びを進めるにつれ、今までの自分の考え方のくせに気付く事ができました。

結局、友達の為とは言いながら私が私の為に学ばなければいけない心理学でした。

では、私がどんな考え方をしどんな事に気づいたのか3つお話します。 

今までの子育てを振り返って気づいた事です。

 

1つめは義母との確執、私は義母に労いの言葉をかけてほしかった。38才の時です。

31才で結婚し、夫の仕事で名古屋に行きました。その後大阪に行きました。

そして、長女3才長男1才の頃、夫の実家の老朽化や両親か高齢になるなどの理由、また、結婚前に夫から「おふくろとなら上手くやっていける」と言われていたこともあり、同居を決意。中津川に家を建てて同居が始まりました。

 

夫に「おふくろとなら上手くやっていける」と言われた時は、お義母さんはきつく言う人ではないのかな、上手くやれるのなら良かったな、と安心していました。

しかし、今は、「一緒に住んで見ないと分からない」という結論です。

同居が始まり私は家事、育児をきちんとやり、良妻賢母でありたい、そうでなければと思っていたように思います。

             

夫は単身赴任だったので、週末だけ家にいるという生活でした。

ダウン症の長女は食事やお風呂様々な事に手がかかりました。長男も小さかったので、とにかく時間に追われていました。      

一番大変だったのはお風呂です。長女は夕方寝てしまう事が多く、起こしてお風呂に入れるのに一苦労。

寝起きということもあり、お風呂ではいつも泣いていました。

泣き声を聞くたびに、私もイライラして怒ってしまう。

するとまた泣くの繰り返しでした。怒りが抑えられず手をあげてしまう事もありました。

長女はまだ十分に喋る事が出来なかったので、泣くしかなかったのです。

そこで、私の考え方が、生き辛さやストレスを生んでいました。

       

・長女が泣きわめいても、私がイライラして怒っていても、義母は声をかけてくれる事はなかったです。部屋に居れば、なおのことわざわざ出てくる事はなかったです。        

・何も言われないから、私も頼らない。

・自分でやるからという、意地なのかプライドがあった。

・助けてくれる家族はいないと孤立した気持ちがありました。

    

泣き声を聞いてイライラして怒ってしまったのもあるけれど、何も言わない義母に対しての怒りが爆発していたのもありました。

ストレスを抱え心に余裕がありませんでした。

そんな思いをしながら本当に良く頑張っていたと思います。 

自分の気持ちを伝える事も出来ない長女に対して辛く当たっていたこの時の事を後悔し、ずっと申し訳ないと思っていました。

心理学を学んだ時、あの時の自分の気持ちに向き合い、どうしてあんな気持ちになっていたのかを1つ1つ考えました。

そして原因は私のこころの中にありました。

       

それは、「自分のこころの中を知ってみよう」で学んだ、甘えの欲求にありました。

 

甘えの欲求は、1気持ち、こころ、感情をわかってほしい。2存在、成長、成果を認めてほしい。3注目、関心、同情してかまってほしい。4自由、禁止されたくない、意思決定を思い通りにしたい。という誰もが持っている欲求の事です。

これが満たされることで、精神衛生上良い効果を得られます。こころの中が安定し幸せで満ち足りている状態です。

逆にこれが不足すると、精神衛生に支障をきたし、精神疾患になったり、人とコミュニケーションが取りづらくなったりします。

また、この甘えの欲求が溢れるように満たされると、人にも分けてあげれるようになると言われています。

 

私は、義母に大変さを分かって欲しかった。

頑張ってる事を認め、褒めて欲しかった。

何か手伝おうか?大丈夫?と声をかけて欲しかった。

ただ一言、気遣う言葉が欲しかったのです。

私自身も助けてと素直に自分の気持ちを言えていたら、少しは楽な気持ちでいられたかも知れません。

甘えの欲求を学び、こころの中が整理されたのですが、なみさんの一言で心理学の奥深さにまた気づかされました。

 

それは、義母から気遣う言葉が欲しかったと思っていた私ですが、「もしかしたら、お義母さんは声のかけ方を知らなかったのて゛は?」

と言われた一言です。

私は、そういう事なんだ!そういう事も考えられる!と新たな発見をしました。

そして、義父の介護をしていた義母は、もしかしたら甘えの欲求が満たされてなく、私の子育てを気にする余裕がなかったのかも知れないと思いました。

今は義母とは程よい関係を保っています。

 

2つめは、学校に行ってくれなかった長女、条件付きストロークばかり与えていました。

47才の時、長女中学1年 長男小学5年 次男年長と子供達が成長した頃の事です。

夫は家から通勤していました。                   

長女は、地域の学校ではなく特別支援学校に入りました。

小学6年間は楽しく通いましたが、中学に入学してから突然行き渋りが始まりました。

 

それは、入学式の翌日。

朝起きなくなりました。

スクールバスで学校へ行くので、バスの時間に間に合わなければ、送って行かなけれはいけません。

しかし、何度起こしても起きようとしませんでした。学校へは行かないという意思表示でした。

長女に何が嫌なのか聞いても答えてくれず、私も何が原因なのかさっぱりわかりませんでした。

 

長女は小さい頃から場所見知りと人見知りがあり、慣れるのに時間がかかりました。なので中学生になって環境が変わり戸惑いがあったのだと思います。

最初の3ヶ月くらいは放課後連れて行き、1時間ほど教室で過ごして帰ってきました。少しでも学校に行って環境に早く慣れて欲しかったです。

学校に行けばそれなりに楽しく過ごしてきて、「明日行く?」と聞けば「うん」と答えてくれました。

それから、起きてバスに乗って学校に行けれる日もあれば、私が学校へ送って行き教室の中に入れたり、また、送って行ったが車から降りれず家に帰るという日もあり色々でした。

学校の行事は楽しみにしているようで、中学と高校の修学旅行は参加出来ました。事前学習も十分にしていないのに行けたことに驚きでした。

行けて楽しめた事に、娘と喜び、周りの人にも凄いねと言ってもらいました。

 

ストローク体験をしようの学びで、肯定的ストロークと否定的ストロークを知りました。

ストロークとは、人とのコミュニケーションから得られる精神的な刺激のことをいいます。

肯定的ストロークは、褒める、笑顔、愛情表現をする、無条件に何があっても信じることなどです。

否定的ストロークは、悪口、無視、殴る、攻撃的な態度、あなたの存在が迷惑ということなどです。

学校へ行きたくても行けない時、不安な状態の時、娘に対して私は無視をしたり、「どうしてこんなふうになってしまったのか」と状況を受け入れられなかったり、否定的ストロークを与えていました。

 

高校生になると卒業後の事も考えないといけません。現場実習があり、数日間そこで仕事の体験をします。娘も現場にはいきましたが、車から降りれませんでした。

「行ってみよう!楽しいよ!」と誘っても「いや」と言うだけでした。

卒業後はどうしたらいいんだろうと、私は不安でした。順調に卒業後の行き先が決まる周りの生徒さんが羨ましかったです。

       

学校に行けない日が続くと、先生がお便りを届けに来てくれました。玄関まで会いに行き、先生に挨拶し、行事があればその話を聞きました。

先生が「待ってるね」と声をかけてくれると「うん」と返事をする時もあり、これがきっかけで行けるといいなといつも思っていました。

しかし、先生が来ても泣いて嫌がり会わない時もありました。

突然怒ってみたり、泣いたり、他の生徒さんの名前を言い、「嫌だった」と言ったり。

不安症状がでる時もありました。

 

ある日、先生がいつものように訪問に来てくれました。娘に「先生にお手紙もらってきて」と玄関に行くように言うと「嫌だ」と言いました。

その時はくらい表情ではなかったので、先生に娘の家での様子を見てもらってもいいかなと、私の判断で、先生に家に上がってもらいました。

テーブルに座っていた娘は、先生の姿に驚き一瞬顔色が変わりました。

その娘の表情を見て私は「しまった」と思いました。先生は「何してるの?」とか話しかけてくれました。しかし、娘はうつむいて泣きそうでした。

先生は少しして帰られました。

娘にとって家のなかは安全で安心出来る場所なのに、私が先生を家の中にあげた事で、安全な場所ではなくなってしまったんだと思いました。

とても後悔しました。娘の気持ちを全然わかってなかった出来事でした。

 

朝起きれず、お昼近くまで寝ていると、昼夜逆転の生活になってくる事もありました。家族が寝る頃に食卓テーブルにつき活動し始めるのです。

食べる物があると食べてしまうので、見えないように隠しました。夜だか ら起きている時間ではないということをわからせるため、部屋の電気も消しました。暗くて誰もいなければ、娘も2階の部屋に来るかなと思いましたが、暗闇でも何やら1人で楽しそうに過ごしていました。

そんな時は、叱って強引に部屋に連れて行こうとしても無理なのがわかったので、そばにいて、少ししてから「寒いから部屋に行こう」とか「部屋で好きなことをしよう」などと声をかけて連れていきました。

生活リズムが崩れると、お風呂に入ることも嫌がりました。何日も入らない時は、姪に頼んで休みの日にシャワーをし髪の毛を洗ってもらいました。

娘は優しい姪が好きなので嫌がらずいう事を聞いてくれました。

 

行き渋りの最初の頃は、娘を学校へ行かせなければ、私がしっかりしないとダメだと思い、行くと言った時は連れて行こうと決めていました。

私は学校へ行けた時は嬉しく、行けなかった時は落ち込み、娘に対しても不機嫌な態度で接してしまいました。

 

条件付きのストロークばかり与えていった結果行き渋りが始まってからは、外出する事も難しくなりました。

病院の定期的な診察も行けず私1人で行ったり、娘もたまには外に行こうと家族で遊びに出掛けても、現地に着くと車から降りれず、弟達をお父さんが連れていき、私が娘と車に残るという感じでした。楽しいお出かけも、一気につまらなくなりました。弟達は「またお姉ちゃんは降りれんの?」と言い私は「ごめんね」と謝るしかなかったです。

娘も行くつもりで車に乗ったと思うのですが、体が動かず辛い想いをさせてしまいました。

       

この学びで、子どもがどんな状況になってもありのままを受け入れる事が大切。そして、自分の命より重い。そして、子どもが欲しいのは無条件の愛である。何があっても信じること。

とても大切なことを学びました。

娘は高校卒業後、家にいました。月に一度相談員の方に合い、施設の情報をもらったり、一緒に簡単な作業をしたりしていました。

そして、2年前に娘にあう施設が見つかり今は週3回通っています。

朝はきちんと起きています。たまに、「行かない」と言う時もあります。

その時、私の中の怒りがメラメラしてくるのですが、講座で学んだように無条件の肯定的ストロークを与えるようにしています。心の中で「娘を信じよう」と唱えます。肯定的ストロークの実践です。

「そうなんだね、眠たいもんね」と言いハグします。しばらくすると、娘はつぎの動作が出き、行くことができます。その姿を見ながら、なんだこうすれば良かったのかと思いました。

娘のペースを大切にこれからも見守っていきたいと思います。

 

私の子育てを振り返り、心理学を学び、今子育て中のお母さん、お子さんの学校の事で悩んでいるお母さんにお伝えします。

辛い気持ちを誰かに伝えて少し助けてもらいませんか?自分の心に余裕がないと子供に愛情をかけれません。私はそうでした。

お母さんが笑顔でいることが、子育てに一番必要な事だと思います。

そして、笑顔でいられない時はゆっくり休んでください。

 

私は子育てを思い出して悔やんでいましたが、心理学の学びにより、くよくよしなくなり、気持ちがととのえられすっきりとしました。

      

子育てが落ち着いてくると、今度は高齢になった親の介護が始まります。

 

3つめは、夫にも介護に介入してもらいたい。       

昨年10月に義母が腕を骨折。バンドと三角巾での固定が1ヶ月続きました。

座っている時間が増え、日に日に足腰が弱りトイレに行くのも支えが必要になりました。バランスを崩して部屋で転んだ時は起こすのに大変でした。

夫は積極的に手伝おうとせず、転んだ時も、何をしているんだ、と迷惑そうでした。私は、何でおかあさんに対してそんなに優しくできないんだろうと思いましたが、そこに価値観の違いがあるのではと考えてみました。

例えば

私はもっと色々手助けして欲しい➡  夫は自分がやれることはない     

私は感謝の気持ちを伝えて欲しい➡  夫は伝えたと思っている。   

言葉にして伝えないとお互い理解し合えない事です。

そこには価値観の違いがありました。そして、価値観の違いからくるストレスを感じました。

 

心理学の学びから価値観の違いを理解し、自分の気持ちを言葉にする大切さを知りました。でも、伝えないと理解しあえないと分かってはいるのですが 私は日頃から、夫に「何を言っているかわからん」と言われ、そのうちに気持ちを言葉にするのが苦手になり、伝えようとしても相手に逆に色々言われ伝えれなくなります。そのうちに言えずに我慢してストレスもたまります。

     

しかし、親の面倒は私1人でする事ではありません。息子である夫にもやってもらおうと思い、自分の気持ちを言葉にして伝えようと決めました。

先日、「仕事が休めないからおかあさんの病院受診へ行ってくれる?」と頼みました。すると、「いいよ」と引き受けてくれました。

とても驚きましたか相手と理解し合えた事に喜びを感じました。これからも少しずつやってもらおうと思います。  

価値観の違いを理解し、お互いがより良く暮らしていく事がこれからの課題です。

 

私が心理学を学んで手に入れたことは、子育てで大変だった時、共感と寄り添いが欲しかったんだと分かった事。そして言葉にして、声に出して助けてもらう事の必要性。

価値観を理解した上で自分の想いを伝える事。

考え方一つで生き方が楽になる事です。

心理学とであって前向きな自分になれ成長出来たことを嬉しく思います。

今回この発表をするにあたり、心理学を学び始めまだ1年しか経ってないのに皆さんの前で話していいのだろうかと迷っていました。

しかし、なみさんとの話の中で、今までの人生の棚卸しをしひと区切りつけるのもいいかなと思い、発表を決めました。

     

心理学を学ぶきっかけになった友達は病院での治療を受け、心身共によくなってきて、少しずつ仕事をしています。

定期的に会ってご飯を食べ話をしています。

私が何かをしたというより、彼女自身の力で前を向いて歩き始めたのだと思います。

そんな姿を見るととても嬉しいです。

 

以上

友達のために学んだ心理学が、わたしのこころの中をととのえていった話です。  

ご清聴ありがとうございました。