心理カウンセラー認定試験(第6期) 受講者の発表2

「私は母として愛し方を間違えた 〜共依存の連鎖を断ち切り、本当の愛に気付くまで〜」


みなさん、こんにちは。

今日は、「娘を守ることこそが愛」だと妄信して娘をコントロールしていた私が、本当の無条件の愛を知ることで、娘の人生まるごと信じて受け入れられるようになった話をします。

私は、三重県の田舎で2人姉妹の長女として、大切に愛情いっぱいに育ちました。が、しかし実は、父は、仕事ばかりの仕事人間。子供のことはほとんど母任せ。母は世間体を過剰に気にする世間体人間。子供の幸せが母の幸せの全てでした。そして、私はというと母の喜びが私の喜びであり最大の生きがい。そんな子供でした。母が選んだ母好みの服を着て、母が良いというものを好きになり、何を決めるにも母に確認。それは大人になっても変わらず、母と私は完全に共依存でした。

そして、私は結婚して、娘が生まれました。可愛い可愛い、命よりも大切な娘。娘の幸せが私の幸せ、娘の全てを把握したい。後に触れますが講座で学んだイネイブラーとはまさに私のことです。そう、私と母が共依存だったように、私と娘も共依存になっていました。共依存のサラブレッド、負の伝統芸能継承です。

 

 娘が小学3年の時の出来事でした。小学校から直接習い事に送るため車で迎えに行きました。その車内で娘は突然嘔吐。それから娘は朝も気持ちが悪いと泣くようになり、私はなんとか無理やり学校に送っていました。その原因を担任の先生だと思い込んでいた私はスクールカウンセラーとの面談を希望しました。私はスクールカウンセラーに向かって「娘の人生の先にある全ての障害物を先回りして取り除きたいんです!」と伝えました。するとスクールカウンセラーから、「お母さんの方がカウンセリングが必要ですね」と言われました。皆さん、気づきましたか?これ、人生の分岐点だったんです。私の子育てが間違っているのに気付き修正できる大きなチャンスでした。しかし私は、「何言っちゃってるの?私は娘を助けて欲しいのよ!もういいわ!」とキレ散らかしながらカウンセリングを受けずに帰ってしまいました。今思うと、なんてもったいないことをしてしまったのかと後悔しかありません。私は人生のショートカットルートを自ら捨てて、地獄のフルマラソンルートを選んでしまいました。

 私の暴走はまだまだこんなもんじゃありません。手前味噌ですが娘は可愛く容姿端麗。そんな娘をもっと可愛くもっと美しくと、私は手間とお金を娘につぎ込みました。月一の美容室ではカットに加え、トリートメントも欠かしません。髪やお肌のホームケア用品も良いと聞けば、お金に糸目はつけませんでした。夫に内緒で医療脱毛も受けさせました。そうして磨きに磨きをかけた娘を周囲から可愛いと褒められ満足すると、今度は「より娘の可愛さが引き立つ習い事を!」と、華やかな習い事であるダンスにも私が全力になりました。平日の夜、片道約1時間かけてダンス教室まで送って行き、レッスン中は車で待機、発表会やイベントではこれまた高額な出費を惜しまず払いました。実は娘は学校でいじめられたことがありましたが、「あいつは絶対許さない。地獄に落ちろ。」と呪いをかけるかの如く、狂ったように怒り、さらにもっと娘を磨くため力を注ぎました。完全に力を注ぐ方向を間違えていますよね。でも当時の私は全ては娘のためと信じて疑いませんでした。

そんな育て方をされた娘は無事大学も決まり、入学を半月後に控えた頃、後に私の人生を大きく変える人間が現れました。娘の彼氏です。今までも彼氏がいたことはあったので「いいじゃん!」と最初は応援モードでしたが、直ぐに状況は一転しました。門限破りに、無断外泊。もちろん大学にも行きません。私と夫は何とかしなければと何度も娘と話し合いました。 「大学には行きたい。だから帰りたいと伝えるけど帰したくないと送ってくれない。けれど別れたくない。」と感情を言う娘と「それは本当にあなたの事を愛してはいない。別れた方がいい。」と正論を言う私と夫は何度も何度もぶつかり合いました。

そんな日がしばらく続いた頃、娘はパニック障害を発症しました。翌日から私は仕事を休み、これまた何とかしなければと娘を連れて心身クリニックとカウンセラーを渡り歩きます。

そんな中、またもや新たな問題が発覚します。彼からのⅮⅤです。私たちの助言も一理あると感じる娘が彼の思い通りにならない際に数回暴力があったとのこと。怒りに震えながらクリニックに加え、警察、弁護士、市の女性課など奔走しました。もちろん彼やよその娘が大学も行かず、ずっと家に泊まっているのを黙認している彼の両親にも怒りをぶつけました。彼の父親は、暴力はこれからは絶対させないが子供がしたいようにさせるのが親だと。自分も息子も中卒だが自分は立派にやっているから大学は別に行かなくて良いという意見で私の怒りは増すばかりでした。DVの被害届を出すために警察にも行きました。調書には応じる娘もやっぱり彼が可哀想だと肝心な被害届は出しません。そうなると、18歳で成人している娘を警察はどうすることもできません。お願いだから泊まらず帰ってきてと、何度言っても外泊ばかりの娘のことが私は心配で心配で、居ても立ってもいられず警察に電話しては迷惑がられ、娘とも警察とももめることを繰り返し、心療内科で処方してもらった安定剤をアルコールで流し込む日々。仕事も行かず、無気力で寝ているか何か解決策はないか検索しまくるか、怒り狂って復讐のため彼の弟をいかに残酷に殺すかを真剣に考える生活でした。

それでもまだ試練は続き、なんと娘は妊娠しました。彼は産んでほしいと言いましたが、娘自身も心療内科の薬をたくさん服用していたので、そこは中絶を希望しました。しかしパニック障害の娘は産婦人科の診察でも発作が出て、入院中も処置がすべて終わるまで本当に大変でした。私自身も本来なら目に入れても痛くないほど可愛かったであろう孫の命を奪ってしまった罪悪感に苛まれる日々でした。娘のカウンセラーの先生には、「中絶がきっかけで共依存から抜け出せる人も多い」と、聞いて期待していましたがそうは問屋が卸さない。娘を彼に合わせないように自宅で療養させていたら娘はリストカットをするようになりました。

今となってはネタでしかないのですが、警察の生活安全課の方と私は本当によく衝突しました。「夜、門限を過ぎて連絡が付かなかったら彼の家に迎えに行く」と伝えても娘は帰らず、本気だと示すため深夜に彼の家を訪ねたことがあります。彼の車がなく不在なのは分かりましたが、彼の親にも知ってもらいたくてインターホンを押しました。父親は「来ていない」とだけ言って話を遮り、鍵をかけられました。私は、「まだ聞いてほしい」と、インターホンを連打しました。この時点で、今思えば私はもう正常ではありません。(笑)中から声が聞こえ、警察を呼ばれたのだろうと感じた私は外で待ちました。警察がなかなか来ないので帰りかけたところ、パトカーとすれ違い、「これだ!」と、Uターンして後を追い、彼の家に着くなり「私の事ですよね?」と、自ら名乗り出ました。やっと彼の父親も外に出てきて、警察官からは「こんなことを続けたら逮捕しますよ」と強く𠮟られましたが、私は、「それで構いません。娘を見つけてください。」と食ってかかりました。情熱の方向が完全に明後日を向いてしまっていますが、それだけ私は限界だったのだと思います。私はそれまで彼が娘にしてきたことを、深夜の住宅街で大声で叫びました。「こんなことやあんなことをされたのに黙っている親がいますか!」と。警察は一緒にいた夫に「奥さんは正常じゃない。連れて帰りなさい。」と怒ると、彼の父親が、「本当に常識がない。」と、吐き捨てました。その瞬間、それまで冷静だった夫が、「常識がないのはどっちや!!」と、ものすごい剣幕で怒鳴りました。「あなたも余計なことを言わない!」と、警察官も彼の父親に怒鳴り、完全な修羅場でした。

それまで「夫は私ほど娘のことで苦しんでいない」と私は夫を内心責めていましたが、夫の一言でそんな気持ちは一気に消え、「あ、この人も娘のことで苦しんでいたんだ。夫は間違いなく私の味方だ。」と、胸が温かくなりました。地獄の真ん中で、夫婦が初めて同じ方向を向きました。修羅場って、ときどき奇跡を起こします。言いたいこと言い切り、「じゃあ、帰ろっか」と、穏やかに二人で帰りました。いい年をして他人に怒鳴り、警察に怒られるなんて思いもしませんでしたが、夫との関係が変わり始めた大切な出来事として、今でも笑って話せる思い出です。

それから半年ほど経ち私も夫も疲れ果て、「娘の思うようにさせよう。彼の家にずっといたいならもうそうさせよう」と決めました。

その理由の一つが、彼の飲酒運転騒動です。深夜、「彼が飲酒運転で捕まった。迎えに来てほしい。」と娘から連絡があり、大慌てで向かうと警察官に「彼がなかなか親に連絡しないから困った」と注意されました。主要道路の信号で、ブレーキを踏んだまま寝ていたところを発見されたそうです。娘はパトカーの後部座席に座り、彼は別の車で親を待っていました。娘が運転していたわけではありませんが、その恐ろしさを伝えても、もうそんなことも分からないのかと、諦めの気持ちの方が大きかったです。警察から「止まっているところを見つけただけなので現行犯ではない。」と聞きましたが、「それはおかしい。その通りの防犯カメラを調べてほしい。」と伝えました。「そのつもりです。しかし、もしそれで飲酒運転が確定すれば、娘も罰金刑になるかもしれませんよ。」と言われましたが、もう自分たちの力ではどうすることも出来ないと悟っていたので、「それは当然です。娘にも罰を与えてください。」と答えるしかありませんでした。

どうしてこんなことになってしまったのか、どうしたらこの地獄から抜け出せるのか、本を読み漁り、ネットで調べまくりました。そして、やっとある答えにたどり着きました。悪いのは彼と彼の両親ではなくて私だったのだと。私は被害者ではなかったのだと。ならば、どうしたら私は変われるのか。そう思い始めた頃、まるで導かれたような出会いがありました。ととのえ心理学です。普段学校からのプリントなんてほとんど出さない息子が、何かを感じたのか、「ママが好きそうだから」と講演会のチラシを渡してくれました。しかし私は講演会ではなく、直接講座の見学に申し込みをしました。講座を見学させていただき、奈美先生、智恵美先生と面談もしていただき、「ああ、やっとこの地獄から抜け出せるかもしれない。」と一筋の光が見え心理学講座の受講を決めました。そのチラシは今でも大切に保管してあります。

智恵美先生の実践心理学を学び始めると、私の子育ては随分間違っていたのだと反省することばかりでした。特に娘には息子以上に過干渉でした。こけたらすぐ助けるのではなく、こけないように先回りして障害物を全て取り除いてから歩かせる、私の子育てはそんな子育てでした。例えば、「友達や先生に何か伝える時は、こういう時にこういう風に伝えなさい。」と娘に細かく教え、トラブルを事前に回避させました。なので、娘は何かあると全てを私に言いました。それを、「娘は私を信頼してくれている」なんて勘違いも甚だしい解釈を私はずっとしてきました。カウンセラー養成講座で学んだ、機能不全家族は正に我が家のことでした。ギャンブルもせず真面目ですが、子育てには無関心な夫と、子供の幸せが私の幸せと暴走する私。夫がたまにくれる助言にも耳を傾けることもなく、なにかあると、「あなたは何もしてくれない。」と責める私に辟易していたと思います。実際、娘の問題の渦中の時は罵り合いの日々で息子の受験が終わったら離婚しようと離婚届にサインまでしました。典型的な機能不全家族で、全ては子供のため、子供のことを思って、こうすれば幸せになれるなど、過剰なアドバイスをする典型的なイネイブラーな私に育てられた娘は、自身の身を呈して、この家族を変えなければならないと、典型的なトリックスターになったのです。これらを心理学講座で学び、娘の一件は彼のせいではなく、私たち夫婦のせいだったのだ。彼はただきっかけにすぎなかった、起こるべくして起きたのだと改めて気づくことができました。子供たちには本当に申し訳なかったと胸が痛いですが、他責で生きてきた私が自責で生きられるようになると全てが有難く愛おしく感じ、あれほどの機能不全家族が変わり始めました。

毎回講座では先生の言葉を一語一句逃すまいとインプットしては、夫と同居の母にアウトプットし続けました。時には、息子にもアウトプットし、いかに私の子育てが間違っていたかを謝りました。本当は娘に一番謝りたかったのですが、娘とは全く連絡が取れていなかったのでただひたすら思いを馳せていました。ととのえ心理学を学び始めて約2年そんな日々を過ごしてきた私たち夫婦は離婚することもなく、夫は娘の一件がある前よりも今が一番幸せだと言い、二人でよく出かけるようなりました。もちろん私も今までの人生は何をしていたのだろうかと悔やみ、その分を取り返すかのように楽しんでいます。私のコップの水が溢れてないと大切な家族に分けてあげることができないからと宣言し、やりたいことにどんどんチャレンジしています。4年前父が突然亡くなったことをきっかけに、娘や孫の幸せが全てで娘の件でも私と共に暴走していた母もすっかり変わり、自分の幸せを求めるようになりました。母と、私や夫との関係も驚くほど良くなりました。一時は母の子育てが間違っていたから私も間違い、娘がこんなことになってしまったと母を恨んだりもしましたが、私は間違いなく愛されて育った、愛し方が間違っていたけれど私は幸せだったと感謝しています。

そして娘が家を出て1年10ヵ月、全く連絡が取れなくなっていた娘から連絡がありました。「今まで酷いことばかりしてごめんなさい。」「ママに会いたい。」と。「謝るのは私の方だよ。今は娘を養ってくれている彼に感謝している。」と伝えました。数日後、あんなに会いたくてたまらなかった娘は帰ってきました。少し照れくさそうに、でも元気な姿の娘を抱きしめることができた瞬間は言葉にならないほどの幸せを感じました。たくさん聞きたいこと、伝えたいことはありましたが、ただただ愛おしい限りでした。私が間違っていたことを謝り、今後は「あなたの生きたい人生を思いっきり生きて。ママはあなたを全力で応援するよ。そしてどうしても無理になったらいつでも帰ってきなさい。」と、ずっと伝えたかった言葉をやっと届けることができました。

「彼からの暴力はないけれど、パパとママをものすごく嫌っていて今日も帰ることをなかなか許してくれなかった。帰りも絶対10時に迎えに来るから。1分でも遅れたら許さないからと言われている。」と、娘が話してくれました。心配だからとずっとラインを送ってくる彼はまるで以前の私を見ているようで、しんどいだろうなと感じ、あんなに憎んでいた彼さえ愛おしく思えた自分に驚きました。結局、娘が帰る時間に私も夫もいなかったので、母が彼に、「送って来てくれて本当にありがとう。私たち夫婦も感謝している。今度はあなたも一緒に来てね。」と彼が大好きなお酒を持たせて伝えてくれました。すると、その夜早速娘からお礼のラインが届きました。彼が娘と私たちの連絡ツールを全てブロックしていたのを解除して、お礼を伝えた方がいいと言ったそうです。彼の単純さにも愛おしさが増しましたが、私たちの対応次第ではここまでの地獄にならなかったのかもしれないと自分を省みることができました。「正論は正しいけれど、優しくはない。」とは、奈美先生からの教えです。

そして6月に娘と彼は入籍をしました。「子供はできていないけど、彼の強い希望だった。」と娘は話してくれました。2年前、別れさそうと必死な私たちと、すぐにでも入籍したい彼。私は娘に「入籍だけはしてはいけない。」と、すがるように伝えていたことを思い出しました。当時はあれほど怖かった入籍ですが、自分でも拍子抜けするくらいすんなり受け入れられました。今となっては、何をあんなに恐れていたのだろうという思いです。

それからはちょくちょく娘と連絡ができ、約1か月後の娘の誕生日にはなんと彼も一緒に我が家に来ました。夫は「どうしても彼を許すことはできない。娘には会いたいが彼には会えない。」と不在でしたので私が迎えることにしました。前回娘から「あの親を絶対に許さない。頭を90度に下げて頼めば話くらい聞いてやる。」と聞いていたので、「絶対頭を90度さげてやる。謝罪はしないが娘を今日まで養ってくれたお礼を伝える。」と決めて待ちました。いざその時がくると、それだけでは足りない感謝が溢れ、彼を抱きしめてお礼を伝えていました。私が最初に頭を下げた時に彼が謝罪してくれたこともありますが、本当に2年前の私たちを知っている人が見たら爆笑するくらいのことです。しかも、涙を流しながら抱きしめている途中にこれはカウンセラー養成講座試験の発表のネタになるなとの考えまで浮かぶほど俯瞰できる余裕さえ感じました。

その後は穏やかに食事を楽しむことができ、娘がこっそりと話していたのは、「本当は一人でゆっくり来たかったけど、彼がどうしても行くっていうから。」とのことでした。私としても本当は娘だけの方が嬉しいですが、免許のない娘を連れて来てくれるなら仕方ないと考えています。本当に感謝しているし、愛おしいとも思いますが、彼を心の底から信頼し認めているわけではありません。でも、娘が望んでいる人生だから応援したいのです。極端に言えば、娘を家に連れて来てくれるタクシー代わりです。自分でも酷いなと感じますが、私はそうしてでも娘に会いたいのです。頻繁にではなくていい、たまにでいいので娘に会って話がしたい。会えない、連絡も取れないあの1年10ヶ月は、今思い返してもこの上なく辛く苦しい日々で私の心の深い傷はまだ完全には癒えていないのだと実感しました。

そんな私を救ってくれたのは間違いなくととのえ心理学です。娘が家を出てしばらくした頃、夜中に迎えに来て欲しいと連絡してきたことが数回あります。夫と大急ぎで迎えに行っても出て来ないのを繰り返すと、帰り道はたまらなくやるせない気持ちになりました。そのことを奈美先生に相談した際、「そういう時はご褒美に深夜とか気にせず好きなもの食べて!でもね、一番いいのは笑いに変えること!」とアドバイスをいただきました。その後は奈美先生の教えの通り、深夜のマックで爆食しまくりました。腸活のため食品購入の際は裏の添加物までチェックし、味噌を手作りまでしている私のことを知っている人に話しまくって「うける~(笑)」とたくさん言ってもらいました。

娘はいつ帰ってきても受け入れられるが妊娠だけはしないでほしいと言う私に「どんな状況でも子供の全てを受け入れ、全てを愛するのが親だ。」とも奈美先生から教えていただきました。しかし、当時はどうしてもそう思うことができませんでした。もし生まれてきた子が彼にそっくりなら、息子にも子供が産まれた時、平等に愛せないと。しかし、今は分かります。私は娘と彼の子を愛する確信しかありません。

息子にも本当に申し訳ないことをしました。この地獄のような時期、高校受験生だった息子は、塾の先生から合格の太鼓判をもらっていた高校に落ちました。これまた手前味噌ですが、息子は幼い頃から成績は良く将来の夢もあり、中一から目指していた高校でした。穏やかで優しい息子は、この地獄のような家庭環境でも一度も文句を言わないことに私は甘えていました。そればかりか、「本当にごめんね。」と、謝る私に、「落ちたのは自分のせいだから、気にすることない。」とまで言ってくれました。結局、第二希望の高校に入学した息子でしたが、全く未経験の軽音部に入りベースにはまりまくって、将来はミュージシャンになるそうです。可愛い彼女もでき、「第一希望に合格しなくて良かった。この高校で本当に良かった!」と高校生活を謳歌しています。

そして、講座で出会った仲間にも感謝でいっぱいです。初回の講座での自己紹介の時の闇しかない私の話を聞いてくれ、今では「本当に負のオーラがやばかった!話したくなかった!」と一緒に笑ってくれます。

まだまだ我が家は色々ありそうな予感しかないですが、どんなことが起きてもきっと大丈夫です。私自身の未熟さにもきっと私の愛する人たちが力を貸してくれると感じています。

このような考え方ができるようになったのもととのえ心理学のおかげです。私は失敗だらけの子育てから地獄を経験しました。正論を振りかざし、愛を履き違え、家族を壊しかけました。しかし、その間違いに気づき、また前を向き歩き出し、今は地獄を経験する前よりずっと幸せを感じています。こんな私でも人生を再構築できるということ、そして、今、子育て真っ最中の方には、お母さんも子供もみんなが幸せになれるととのえ心理学という学びをぜひ知ってもらいたい。本音を言えば、私も子育て真っ最中に学びたかったと後悔もありますが、子育てが終わった方も必ず幸福感が増す学びです。今、心底思うのは全人類が心理学を学んだら世界は愛で溢れるはずです。私は、奈美先生のように、私の家族や私に関わってくれる全ての人の愛の連鎖の起点になりたいと思います。自分の経験を伝えることが少しでも誰かに気づきを与え、そっと背中を押せることができたらそんなに嬉しいことはないと感じています。

地獄を見てきた私だからこそ、今、心から言えます。

人は変われます。家族もやり直せます。

本当の無条件の愛は、相手を丸ごと受け入れること。

その時初めて自分自身も丸ごと受け入れられること。

私の闇が誰かの光になると信じてこれからも学び、成長し続けていきたいです。