「自己表現をして自分らしく活き活きと生きる」



皆様こんにちは!私は佐藤勝彦と申します。
本日の発表のタイトルは、「自己表現をして、自分らしく活き活きと生きる!」という事で、今まで真面目で我慢して生きてきた私が、心理学を学んで、どう変わって行ったのか、人生のストーリーをお話ししたいと思います。
サブタイトルは
サブタイトルは
~真面目で引っ込み思案だった私が心理学を学んだ事で、自分の中にある真面目のブレーキが外れ、恥ずかしげもなく名鉄のお客様や100人の招待客の前でトレインウエディングと披露宴をしたり、大勢の観客がいる前のステージで歌を披露したり、日本一周の新婚旅行に行ったり出来るようになりました。このように、明るく前を向いて生きられるようになりました~
自己紹介
年齢は童顔のためいつも10歳くらい若く見られますが、実は59歳になりました。
今年の1月には、二度目の結婚をし、その結婚相手とは、ご存じの方も多いと思いますが、ととのえ代表である、なみちです。そして今年の3月初めには妻と二人で日本一周の新婚旅行に行ってきました。★北は秋田、南は鹿児島まで、全国の素晴らしい景色や施設を見て感動し、ご当地の美味しい料理を堪能し、一生の思い出に残る大満足の旅になりました。
1. 冒頭のサブタイトルでも触れましたが、今までの私は、真面目で我慢する人生を送って来ました。その結果、陰キャでつまらない人生を送ってきたわけなのですが、どんな陰キャだったのか、今までの人生を振り返ってみたいと思います。★
幼少期は、みなさんの想像通りとても大人しい性格でした。小さい頃に植え付けられた、我慢する、真面目でいるという性格は、小中高校・社会人になっても変わりませんでした。学生時代は大変大人しく、真面目に勉強やスポーツに打ち込み、悪ふざけする事もなく、親の期待に応えるように生きてきました。
高校3年の進路を決める時には、やはり親が喜びそうな、真面目で安定した名古屋鉄道を選びました。入社後は、駅員・車掌・運転士を経験し、名鉄を代表する名車「パノラマカー」も運転しました。運転士時代はとても遣り甲斐があり、人間関係も良く楽しく仕事が出来ていました。名鉄人生で一番輝いていたのかもしれません。
その頃、息子2人は幼稚園、小学校時代だったので、ちょうど電車に憧れる時代だったにも関わらず、そんな姿を子供達は見に来てくれる事はありませんでした。
2. そして、結婚です。
25歳の時に、婿養子という形で最初の結婚をしました。
養子先では最初はとても歓迎してくれて居心地が凄く良かったのを覚えています。
子供も長男二男長女とすぐに授かり、順風満帆だと思っていたのですが、★その頃からどんどん妻や義母が冷たくなっていきました。
例えば、私が三菱のパジェロという車を購入した時の事ですが、義母に「何でそんな大きくて乗りにくい車を買ったの!」と近所に聞こえるくらい大きな声で怒鳴られた事があり、夕飯が出来たのに、妻や家族に呼んでもらえなくて、みんなが食べ終わった頃、キッチンに降りてきて、一人寂しく食べていました。
今思えば冷たくなっていった理由は、跡取りの子供達が出来て安心したので、私は役目を終え用なしになったのだと思います。養子だったので肩身が狭かった事もあり、自己主張する事もなく、言われるまま我慢して生活を続けていました。
その結果、どんどん居心地が悪くなっていきました。思い出すのも辛くなるのですが、子供達が3人とも母親の味方をするようになったり、妻から友人の旦那さんより年収が低く、出世も出来ない、仕事が出来ない男とバカにされるような言動があったり、妻と娘からオヤジ臭いと嫌われたりしました。
このように、幼少期も学生時代も社会人になってもずっと息苦しさを感じながらも、それが普通で我慢しなきゃと、真面目な会社で真面目に仕事をこなしたのに、家庭ではその真面目さがつまらなく、一緒に居て面白くないのか、受け入れてもらえず、夫婦で買い物や食事、旅行へ行くことも無く、会話もなくなり、不仲になっていきました。
3. そして、これは今考えれば良く決心したなと自分をほめてあげたい事なのですが、我慢の限界を越え、一大決心をして別居をしました。★
しかしここでも、真面目で引っ込み思案の私は、アパートでも我慢して暮らします。
慣れない料理や家事に疲れ、住んでいない妻の家のローンと生活費を支払い、加えて自分のアパートの家賃や生活費もあり、金銭的・精神的にも苦しい生活をしていました。このため趣味に使えるお金もなく、遊びに行く事も出来ませんでした。
一人寂しくつまらない人生、このまま年老いて死んでいくのかなあ、あ~あ、何のために生きているのだろう、と精神的に落ち込む事もありました。
自分で思い浮かべていた夢は、愛するパートナーと一緒に住み、家族で旅行や食事に行ったり、孫と遊んだり、孫の運動会に家族で応援に行ったり、会社の同僚と旅行やお酒を飲みに行ったり、好きな趣味に没頭したりする事でした。★しかし今の生活では全く叶わないし、これじゃいかん!と、今流行りのマッチングアプリをして、自分の夢を叶えよう!という事になりました。
4. マッチングアプリを始めてしばらくすると、なんと偶然にも同じ中津川のなみちと知り合う事が出来ました。なみちは、フリーランスだったので、飛騨古川でリモートワークをしていました。そこに私が電車に乗って遊びに行きました。
一緒に市内観光や食事をしながら、なみちという人間を観察したのですが、なみちの第一印象は、性格は明るく一緒にいて楽しくて、行動力があり自分の好きなように生きている感じがしました。★
真面目で我慢する私とは真逆でしたので、とても驚きましたが、そんな生き方をしているなみちを見てとても羨ましく思い、こんな風に生きられたらいいなと思うようになりました。
その後、心理カウンセラーの、なみちにカウンセリングをしてもらう事がありました。その内容は、会社の駅長試験に何度も落ちてしまうというものでした。同年代には駅長をはじめ、主任・係長・課長などの管理職に就いている人もいる中、自分は駅長試験に3回も落ちていました。筆記試験は合格するのですが、この大人しい性格のためか、面接試験でいつも不合格になっていました。どうせ4回目も不合格だろうと落ち込んでいる事を相談しましたが、てっきり合格できるアドバイスをくれると思っていたら全然違っていました。
なみちからこんな言葉をもらいました。
「試験に落ちたとしても、肩書きがあるなしであなたの人間性に変わりはない、いい所はいっぱいあるから劣等感を持つ必要はないよ!」と言ってもらえました。★
すると、スーっと身体が楽になり不思議とあんなにこだわっていた駅長試験が、どうでもよくなっただけでなく、劣等感までなくなっていました。結果、心配をよそに試験には合格しましたが、自分の変化にびっくりし、心理学や、なみちのカウンセラーとしての力って凄いと実感し、心理学を学んだら、もっと自分の気持ちが楽になれるのではないかと思い、講座を受講しようと思いました。
5. 心理学を受講してみると、気づけた事が沢山ありました。その一つが今まで自分は我慢して生きてきたということでした。それが分かったのはインナーチャイルドセラピー講座でした。このインナーチャイルドとは、幼い頃、理由不明で未完了になっている、納得しがたい辛い感情に答えが見つかっていないために、大人になっても辛い感情を慢性的に感じる癖を持ち、答えを探し続けているモヤモヤした状態の事で、簡単に言うと小さい頃のトラウマの事です。
この講座を受けると、現在の私の真面目で我慢する性格を形作ったのは幼少期の母親の育て方であったのが分かりました。
ではここで、私の性格を形作った母親についてお話をしたいと思います。
母は、借金を父や家族に押し付けた上に、男を作って父を捨て、出て行きました。そんなとんでもない母親だったので、ずっと憎んでいました。
インナーチャイルドセラピーは、愛情をくれた母親との関わりでセラピーを行いますが、そんな母親でしたので、あまり気乗りはしませんでした。でもセラピーはなぜか不思議と母親へと誘導していきます。
私は三人兄弟の長男として生まれ、小さい頃から「お兄ちゃんだから我慢しなさい」、 「お兄ちゃんだからしっかりしなさい」と母親から言われていました。
いつも自分ばかり我慢させられて、弟ばかり可愛がられていた印象がありました。
この、インナーチャイルドセラピー講座で、その時の自分の気持ちを読み解いてみると、「不条理」「モヤモヤ」「悲しみ」「不安」「悔しい」「不愉快」「怒り」こんな感情を持っていました。
でも小さい頃の自分はどうする事も出来ずに、母親の言うことを納得出来ないまま、我慢して、怒られないよう褒めてもらえるように、小さいながら良い子を演じ、それが良い事だと信じて一生懸命生きてきました。
そこで、母親がなぜそんな育て方をしたのか考えてみる事にしました。母はきっと、私が良い子でいてくれた方が弟の面倒も見てくれるし、子育てが楽に出来たからだと思います。そして、セラピーを最後まで受けてみると、不思議な感覚になりました。
母は、私より弟が可愛くて我慢しなさいとか、しっかりしなさいと言った訳ではなく、私にも弟と同様に愛情を持って育ててくれていた事が分かりました。そして、あんなに憎かった母親に対して、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと感謝の気持ちが芽生えてきました。
6. そして、幼少期の母親からの影響により、大人になってもずっと良い子、真面目、我慢の人生を送ってきた事が分かって、その結果ずーっとつまらない人生を送って来たので、もう真面目で我慢の人生は辞める事にしました。
そのかわりに自己表現が出来るようになりたいと思うようになり、そのきっかけになった事をお話しします。
なみちと付き合い始めた頃、私の服がダサいと言われました。自分ではカッコ良くはないにしても普通じゃないかと思っていました。でもそれはどうやら本当でした。
アパートに住んでいる時に、なみちが私のタンスの中を開け、とても驚いていました。なぜかというと、タンス一列全部チェックのシャツだったからです。
ちょっとお見せしますね。★
自分では全くチェックだらけとは気づかず、知らず知らずのうちに無難なチェックのシャツを選んでいたのだと思いゾッとしました。
その後、駅長試験の合格祝いにブランドの服を一式買ってもらってからは、カッコ良くなったと言ってくれて、それ以降は自分で好きなブランドの服を買って、お洒落を楽しむようになりました。そこから、少し自信がついてきたので、真面目で大人しい性格を脱却し、自己表現をしながら明るく前向きに生きるための修行を始めることにしました。
自己表現の修行その① 人前でおならをする!
これは、なみちからの提案で始めたことです。なみちの前だけの話しですが、前の家では妻の前、家族の前でもおならをした事が無く、また家族も私の前ではしませんでした。この提案を受けた時は正直「え?なんで?」と思いましたが、なみちの次男、自由奔放なのりくんは、平気でおならをします。修行の甲斐もあり、今では生理現象を我慢せず開放的に楽に生活出来るようになりました。
自己表現の修行その② セーラー服で女装
なみちの父親が主催するカラオケ教室の発表会の余興で、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」を、私となみちと友達の三人で歌いました。ネットで買ったセーラー服を着て、カツラを被って振り付けも覚えて踊りながら歌いました。会場はドン引きして、あっけに取られていましたが、不思議と私は恥ずかしさが余りなくて、楽しく歌えました。しょうもない修行と思われるかもしれませんが、こうやって真面目な性格を脱却し感情表現を豊かにして、自分の殻をどんどん破っていく、そんな修行です。
自己表現の修行その③ 自分だけマスクを外して出勤
新型コロナが下火になった時、会社から五類になったらマスクの着用は個人の判断で良いと指示が出ました。私は五類になったら自己表現の修行のために、マスクを外して勤務すると決めていました。当日になり、私はマスクをせずに出勤しました。すると、私以外全ての係員がマスクを着用していました。これはマズいと一瞬思いましたが、今回は人の目を気にする事なく、不快なマスクを外すと決めた以上、我慢しなくていいと、自分の考えを貫こうと思いました。
以前の私でしたら、真面目な性格と長い物には巻かれるタイプで、皆に合わせてマスクを着用していたと思いますが、マスクを外す先頭に立って見本を見せられたのは良かったと思います。
7. このように、心理学を学んだ結果、仕事上でも変化が現れました。仕事上の接客などで、お客様センターにお褒めの電話やメールが入った時や、駅に直接お礼の品を頂いた時に「Good CSカード」というものが会社から貰えます。
心理学を学ぶ前は、真面目な性格ではあったのですが、それはただの真面目であってお客様の事を考えていた訳ではありませんでした。そのため、規則通りの取扱いをして、Good CSカードどころか、苦情を何件か貰っている始末でした。
例えば、切符をなくしたお客様がいて領収書も持っていましたが、規則通りに再度支払ってもらおうとした所、領収書でお金を払った事は分かるだろう!この前の駅員は許してくれた、と大きな声で怒鳴られました。お金を投げつけられ、降りて行かれましたが、後日会社に苦情が入ってしまいました。
しかし、心理学を学んでからは、このカードを3枚貰う事が出来ました。
一枚目は線路にイヤホンを落とされたお客様に対して、線路は暗い上に黒色のイヤホンで見つけるのが難しいかもしれませんが、一生懸命お探しするとお約束し、その後無事に見つかり早期に連絡をした事でお礼を頂きました。
二枚目は体調不良の中学生に対して、体調を心配し優しく親切な応対をして、嘔吐物の掃除はしておきますので気にしなくて良いですよ!と伝えると、後日お礼の品を頂きました。
三枚目は、体調不良のお客様に対して、救急車の手配の確認や、部屋の暑さに対して扇風機の風が届くよう色々な気遣いをした事でお礼の品を頂きました。いずれも、お客様の立場に立った親身な応対をした事でお客様に喜んで頂けたと思います。
Good CSカードをもらった事で、自分のお客様に対しての対応の変化に驚くとともに、とても嬉しくなりました。
そして、今年1月に冒頭でもお話しした、最後の修行、名鉄トレインウエディングと披露宴を行いました。当日、この会場にお見えの、ととのえスタッフの皆様、なおさん、あけちゃんを始め沢山の受講生の皆様に参加して頂き、本当にありがとうございました。
出席者全員が初めての体験となる、電車内での挙式、前代未聞の孫を連れての新郎新婦入場や、親戚の海原はるかかなた師匠による漫才ショーなど、会場は笑いに包まれていました。また、トレインウエディングの制服姿がカッコ良かった、披露宴ではイケメンだと言って頂き、多くの出席者から今回の結婚式は楽しくて感動して凄く良い式だったと言って頂きました。
最初、なみちからこの提案があった時、自分の会社の電車内で挙式をするなんて、移動中に一般のお客様にも見られる事になるし、それに50代で二度目の披露宴だし、恥ずかしいと、あまり乗り気ではありませんでした。
しかし、なみちから名鉄の社員がトレインウエディングをやるということは、40年働かせてくれた会社に対する感謝と恩返しの意味があるんだよ、と言ってもらい、それなら、面白い事を思い切り楽しむ!と言う考えに賛成して腹を決めました。
私達二人も人生で一番の思い出に残る最高の結婚式で、本当にやって良かったと思っています。これも自己表現が出来て、自己肯定感が上がったため、自分に自信を持てるようになりました。
終わりに
心理学を学んでいなかったら、真面目で我慢をする生活でストレスを抱えて、独り身で幸せでもなく愚痴を言いながら、平平凡凡と過ごしていたに違いありません。
変わりたいと思っていても変われなかった自分がなぜ変われたのか?それは、我慢や妥協する人生は嫌だ、人生を幸せに生きると強く思い、その手段が心理学であると確信したからです。心理学であなたも変われます。私のような筋金入りの真面目・我慢人間でも変われました。しかし、まだみんなの前で、なみちにお題を振られても真面目に返してしまって、バカなことや面白い事を言ったりするのは出来ていないので、まだまだ道半ば、修行中です。
もし、あなたが私のように真面目で、我慢ばかりしていて、自己表現が出来ない人なら、一緒に心理学を学んでみませんか?きっとこれからの人生、見える世界が変わってくると思いますよ。
皆様、お気付きの方も多いと思いますが、今回私が男性で初めての発表になりました。
なぜ男性初となったのかと考えますと、ととのえ心理学は、お母さんのための心理学として始まったからです。しかしながら、お母さんが家庭で孤軍奮闘する時代ではなく、お父さんがお母さんの味方になり、お母さんの一番の理解者になり、円満な家庭を築くためにも、お父さんにも心理学を学んで欲しいのです。
私は将来的には、心理学の学びを深めて、心理カウンセラーや心理学講座の講師を目指し、ととのえ心理学を盛り上げていきたいと思っています。
【タイトルの再確認】
本日は「自己表現をして、自分らしく活き活きと生きる」というお話をさせていただきました。
なみちや、ととのえ心理学との運命的な出会いにより、人生が大きく変わりました。
心理学を学ぶ事で、幸せを手に入れる事が出来ました。
今、私は本当に幸せです。愛する妻や孫たちと幸せに暮らし、行きたい所に旅行に行き、食べたい物を食べに行き、自己表現しなから我慢しない生活をしています。
自分の思い通りに、さらに楽に生きて行こうと思います。★
以上で私の発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。
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