「私の笑顔を奪った夫への怒りから、心理学を学んで許せるようになるまでの話」
みなさんはじめまして
名前は笠野和代と申します
在住は郡上市明宝です
郡上といえば日本三大盆踊りの郡上踊り、特産品の明宝ハムがあります
中津川までは車で2時間ほどがかかるので、よくみなさんには驚かれます。
今日は私が、私の笑顔を奪ったのはあの人だ!と夫に対してずっと怒りを感じていたのですが、心理学を受講して、それは幼少期から始まった自分の存在を消してしまうクセから来ているものだという事がわかりました。
今日はみなさんに、そんな癖を持った私がどのような人生を生きてきて、そしてととのえでどんな人生に変える事が出来たのか、そんなことを聴いていただきたいと思います。
ではまず、私が心理学に出会ったきっかけをお話しします
私はととのえ心理学を3年前から学び始めました。
その頃の私は子育てを終え、介護がスタートしていました。
子供たちが家を離れたということもあり、家庭でも仕事でも楽しみはなく、家庭では笑顔もほとんどなくなり、行動好きの私でしたが行動もしなくなり、休日はひきこもりの日々でした。
そして、これは私を動かすことの原動力となったきっかけなのですが、当時働いていた会社から「働いた分の給料が支払われない」というとんでもない事件が起きました。
給料が払われないことへの不安、社長に何度話してもわかってもらえないという社長と従業員の分かり合えない気持ちからという怒りが溜まっていきました。
その結果身体に不調が出始めました。声が上手く出せなくなり、円形脱毛症を繰り返し、左脳の考える機能はショートし深く考えることができなくなり、歩行が困難になる日が何度かありました。ひざ下の血液が上手く流れなくなっていました。
こんな状況になっても私は頼ることもできず伝える事も出来ず、ただただ悲しく涙が流れる日々と不安や恐れや孤独が深くなり生きていることへの辛さも感じていました。
そんなある日
このまま自由に動けなくなったらどうしよう
終わりの見えない介護をどうしよう
これ以上自由がなくなるのはイヤ!このまま終わりたくない!!
という思いが、ととのえ心理学との出会いに繋がったのです
そして、そこから私を知る学びがスタートしました。
先ほどもお話ししましたが、中津川まで車で2時間かかります。
ちゃんと最後まで受講できるだろうか?という不安もありましたが、月に1回の講座ということもあり、そしてドライブ好きの私にとっては四季の移りゆく景色を楽しみながら走る2時間は自分時間であり、無になり、リセットできる時間だったり、閃きがおきることもあったりするよい時間となっています。
趣味なしと思っていましたが、好きな時間だと気付きがありました。
自然豊かで清流沿いを走る空気は気持ちよく、栗のスイーツも楽しめる中津川が好きです。
講座はフルコースの受講を決め、今は
実践心理学 カウンセラー養成講座 インナーチャイルド講座 整理収納講座を終え
上級者コースを学び中です
講座の中で自分という人間が「その他大勢の中の一人で生きて来た」という事がわかりました。群衆の中の一人、つまり大勢の中にまぎれることで、自分の存在を消して生きてきてしまったのです。
それがわかったのは、インナーチャイルドセラピー講座と、この心理カウンセラー認定試験を受験するためのマンツーマンでの相談でした。
私は幼少期のころ、無意識に「目立ってはいけない」という思い込みを取りこんでしまう体験がありました。
この、インナーチャイルドってみなさんは聞いたことがありますか?
インナーチャイルドというのは、幼い頃理由不明で未完了になっている納得しがたい辛い感情に答えが見つかっていないために大人になっても辛い感情を慢性的に感じる癖を持ち答えを探し続けるモヤモヤした状態のことです。
未完了の感情とは、納得しがたい怒り、悲しみ、恐怖などの感情があり、未完了にしておくと大人になっても幼少期にリンクする出来事が起こると悲しくなったり、怒りを感じたり、怖くなったりするのです。このような感情を慢性的に感じる癖を持つようになるとそうではない証明がほしくなるのです。
私は悲しみや恐怖を感じると愛されていないのではないかという不安ができ愛されていないという証明が欲しくなるのです。
これが様々な人間関係への支障となるのです。
私の場合は、恋愛や結婚、友人関係に支障があったんだということがわかりました。
では、まずは私のインナーチャイルドがどうやって作られたか、幼少期のお話をしますね。
私は4人兄姉の末っ子で優先順位は最後。お下がりは当たり前で、幼少期は祖父と過ごす時間がよくありました。特にお留守番をよくしていました。
このように自分だけのものを買ってもらう事がなく、自分だけのものを買って欲しいと主張することもなく、おさがりを着て、いつも人に一番や特別は譲っていました。
母はというと、仕事と趣味への時間を楽しんでいました。
私との時間はあまりなく、私に関心ないんだと感じていました。
父は厳しかったので、完璧であれ、丁寧であれ、迷惑をかけるな、という事を言われ、希望を伝えても必要ないと否定され、私は何かを伝えることを諦めていました。
こうやって、私のインナーチャイルドは作られていったのです。
そしてそんな私は中学になると、人を信じることや人に頼ることができず、自分にも相手にも関心の薄い自分がいた気がします。
表面上は、仲良くしているつもりでしたが、それは表面上だけの事で、考えてみたら自分の本当の気持ちを友達に話す事はなかった気がします。
それはきっと、自分ってダメだな、できないな。などの自責の念にかられ、完璧でなければいけないという思い込みで育ち、できない自分のボロが出るのが怖く、自信はどんどん無くなり、みんなの中の一人が居心地よく正解でもなく不正解でもない笑顔だけが私の表現だったのだと思います。
大人になってからは特に恋愛、結婚などのパートナーシップや、会社での人間関係があてはまりました。
そんな私の恋愛といえばいつも嫌われたくない思いから気持ちを伝えることをしてこなかった事や、どこかで相手は、私には関心がないだろうと思い込み、上手くいかず、疲れてしまうのです。
そんなふうに流れに身を任せて生きている時、出会ったのが10歳年上の夫です。
私は、結婚したら幸せになれるかもしれない!という思い込みがあったのですが、それは後(のち)に大きくこの思い込みを後悔することになります。
心理学を学んで、私の思い込みは期待とファンタジーだったという事に気づかされました。
ここで期待とファンタジーについて説明をします。
期待とファンタジーとは、現実と異なる想像を行い心のバランスをとるためにとる手段です。
私は結婚という2文字と、夫に「幸せにしてくれるだろう」と期待し、夢を見ていたのです。
そして、その夫が幸せにしてくれるだろうという、くれくれを持ったままスタートをした結婚生活のわくわくは3人目が生まれるまででした。
ここから私の期待やファンタジーは大きく崩れていきます。
私には関心ないんだという思い込みを起こす行動が夫の浮気です。
今となっては浮気と言うには大げさだったのですが、ここから距離を作り、笑えなくなってしまった気がします。
自己主張してこなかった私が
例えば、夜出かけたいと伝えると「女のくせに生意気だ」と言われたり、
習い事をしたいと伝えると「意味がないからやらなくていい」と応援されることはなく、
学校の役員を引き受けて帰ってくると「受けてくるお前が悪い お前がやればいい 俺は知らん」などと言われ協力されず、これに従っている私が無視して行動を起こすと、寝室を追い出され、同じフロアーで過ごすことも拒否され、挙げ句の果てには
「義母と子供を連れて出ていけ」とまで言われ、
悲しみと孤独が深くなり、やっぱり私には関心もないし、わかろうともしてくれない、私には協力してもらえないんだと思い、夫の存在がどうでもよくなり
会話は全くなくなり、重要な用事はLINEで終わります。会話がないことが当たり前になりました。食事の時間はお通夜です。
こんな生活が嫌で出ていくことも考えましたが、お金の不安もあり行動できませんでした。
こうやって、私を認めてくれない、笑顔も行動も奪ったのは夫だという思いが怒りを強く、深くしていきました。
しかし、この期待とファンタジーの仕組みを知ってみると、私が勝手に期待して、勝手に夢を見て、むこうがくれて当たり前だと思っていたのだと気づきました。
いわゆるクレクレ星人を自分はやっていたのです。
心理学を学んでいると、そんな自分がわかる気づきが2つありました。
1つめは、性格診断です。これは交流分析という人の心のバランスを6つにわけて、どんな思考や価値観を持っているかがわかるグラフの事です。
NP ACさんという、典型的な田舎の母でした。誰かのために時間を使い誰かに従い、みんなに優しくするという自分軸のない自分です。
自分の本当の気持ちを抑えて相手の期待に沿えるようにつとめる。よく言えば、順応性のある人です。自分の自然な感情を抑え相手にゆだねて、自分の意見を伝えられない特徴があります。納得するACさんの私です。
2つ目はストロークについてです
ストロークとは自分や相手の存在価値を認める働きかけのことです
それは、自分や相手との良好なコミュニケーションを取る方法でもあります。
幸せ実感の4つの要素といって、
相手の事も自分の事も、知って わかって 認めて ほめる事です。
これが肯定的なストロークです
私はこれを幼少期、両親からもらう事もなく、自分にもあげることをしてきませんでした。そして、大人になってからもそれは同じで、でも友達や会社の仲間などには与えるしかありませんでした。幼少期にもらってもいないので、あげ方もわかりませんでしたが、人から嫌われないようにするために必死で、誰かを優先し、相変わらず自分に与える事はありませんでした。
そして自分と関係が深い人間、つまり家族にも自分と同じように与えていませんでした。
ストロークの中には否定的なストロークもあるのですが、
儲けの心理と言って、相手を否定して価値を下げ自分だけが心理的優位に立とうとする働きかけや、自分や相手の存在や価値を軽視したり、無視したりする働きかけです
いわゆる、マウントを取るというやつなのですが、こうすることで、自分のストロークを埋めようとします。
私は子供たちにダメだしを繰り返して反論させないようにしていたことに気付かされました。
そして何より自分自身が知って欲しい わかって欲しい 認めて欲しい、満たされる愛を、ほしがりくれくれ星人だとわかりました。
こうやって、私は幼少期の体験や両親からもらった負の感情から、
「自分の欲求を伝えることを諦める」
「その他大勢の中で目立たないように生きる」
「自分の心を大切にしない」
「自分にも相手にも関心が薄く、深い絆を作ろうとしない」
「甘えの欲求が満たされず枯渇する」
こんな思考を取りこんだ結果
・夫とは不仲になり
・義母の介護を嫌だと言えず途方に暮れ
そして、自分自身を大切にして来なかった結果
給料が払われなかったことがきっかけで、体調を崩し、うつになり、引きこもってしまい、消えてしまいたいとまで思うようになりました。
自分自身を大切にして来なかったから、だから私の心は壊れてしまったのだとはっきりわかりました。
それがわかっても、どうしたら良いのかわからずにいると、 なみ先生から自分の気持ちに問いかけてみて?と提案がありました。
そこで私は、悲しくなった時や怒りが出たとき、自分責めが始まった時、無意識のうちに頭に浮かんでくる自動思考にどうしたかったの?悲しかったことはどんなこと?嫌と感じたことはどんな事?などと問いかけるようにしてみました。
こんな感じです。
「おはよう」に対して無視されイラッとしたとき
イラッとしたのね。それはどうして?悲しかった。どんな言葉がほしかったの?
「おはよう」と言われたかった。言われたかったのね。となり
更には無視されたのは聞こえてなかったのでは?など自分の感情にそれは事実だった?など疑問を与えることもしていきました。
すると自動思考に返事が生まれ、自分の思い込みだったことに気付いたり、受け取りたくなかった言葉からは受け取りたかった言葉になり、相手の行動への不満を聞いてあげていくとこうしてほしかった。などとなり自然と悲しみや怒りや不安が小さくなり消えていきました。
また、自分で自分にありがとうやよく頑張ってる。と伝えられるようにもなりました。
そうやって、少しずつ自分にベクトルが向くようになると、夫への怒りがやっとやっと小さくなっていき、会話が少しできるようになり、感謝が言葉だけではなく感じることができるようになってきました。受けた言葉はまだ残っていますが、辛かった痛みは小さくなり始めました。過去を許す事ができはじめました。
介護のことは施設を利用したいと伝え一年前から利用できるようになりました。
自分を知って、わかって、弱さを認め、欠けている自分も受け入れられ、誰かに矢印を向けるのではなく、自分がまず自分を愛してあげることの大切さ
そんな自分を手に入れることができました。
自信のない自分を完璧に埋めようとすることで、誰かから愛してもらおうというくれくれ星人をすることも手放すことができました。
ストロークのコップの水は溢れ始めました。
今は考えることより感じることで悲しいことも嬉しいことも涙が流れ、言葉にして伝える事で自分も相手のことも知っていける楽しさを知り関心の薄い自分は変わり、孤独を感じることもマイナスではなく自分を深く知れる時間だと感じ、自分を好きになりはじめています。肯定をすると愛するものが増え、恐れるものが減る。
誰かの正解を生きることしか知らなかった自分から自分を生きるを知り、学んできてよかった。ととのえ心理学に出会えてよかった。行動してよかったと3年前のあの時不安と恐れがくれた愛へ感謝ができ今があります。
学びは続き、わざわざ拾ってあげる感情もまだまだあります。
これからは愛を循環していける自分でありたい。そう感じています。
私の笑顔を奪った夫への怒りから、心理学を学んで許せるようになるまでの話でした
私の自己開示が誰かひとりの気付きになっていたら嬉しいです。
ととのえ心理学で自分探しをしてみませんか?
一緒に学んでみませんか?
最後までお聴きくださりありがとうございました。
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