心理カウンセラー認定試験(第5期) 受講者の発表3

「ネガティブをポジティブに変える不思議な言葉」

1,自己紹介と心理学との出会い

初めまして、Mと言います。

子供は娘と息子がいます。二人共成人を迎えて外に出ているので、今は実家で父と母と3人暮らしをしています。

仕事をして、時には友達と出かけておいしいランチを食べ、趣味の日舞、つまみ細工、愛しいコザクラインコのモネを愛でながら毎日を楽しく過ごしている47歳、不登校経験者、離婚経験者です。

私が子どもの頃に経験した不登校を、今の私なりに読み解いています。今、不登校で悩んでいるお母さんのお役に少しでも立てれば嬉しいです。それでは、不登校だった私が数々のターニングポイントを経て、言葉の魔法の力によって勇気づけられ、周りに振り回されなくなったと言う話を今からお話させていただきたいと思います。

 

子供の頃はあるときから大人が信じられず、本当につらい日々を過ごし、結婚して幸せだった日々から離婚を経験したり、また人が信じられなくなったりと、なかなか忙しい数年間を過ごしました。

そんな日々を過ごしていたせいか、人間不信が染みついていて、何をやるにもマイナスな考えが先に出てきてしまい、そんな自分に嫌気が指してきていた頃、仲のよいお友達から凄くいい講演があるよと誘ってもらい、以前から心理学に興味を持っていた私は飛びつくように参加。話を聞いている途中から涙が止まらず見事に号泣。理由はわからないのに?不思議に思いながらも話を聞き終え、ますますその何故か?を知りたくなり興味が湧き始め、これはチャンスかもしれないと普段即決をしない私がその日に奈美先生にお世話になろうと決めました。それはきっと、3度ほどの人生のターニングポイントがあったからだと講習を受けて改めて気づいた事かなと思います。

2,私のこれまでの人生(子どものころ)

小学生の頃は、友達、勉強、健康面でも充実していて毎日が楽しい日々。何をやるにも楽しくて充実していて、笑顔が絶えませんでした。

しかし、持病の喘息がひどくなり始めて学校を休みがちになり始めた中学生の頃から突然おかしくなり始めました。

友達から離れて過ごす毎日、遅れていく勉強、家だけで過ごす日々。

あるとき、朝目覚めて起き上がろうとしても猛烈な目眩が襲います。

 

なぜかわからないけれど行けない、おかしい。

行ける日は保健室で数時間過ごして帰宅する、おかしい、何でだろう?行けば友達と話したりしてとても楽しいのに・・・。

こんなんじゃなかった。おかしい、どうして?わからない。

子供ながらに葛藤する日々、いつの間にか行けないが、行きたくないに変わってしまいました。誰とも話したくない、顔も見たくない、

遅れていく勉強、何をするのも億劫で、何故か楽しくない。

怖い、逃げたい。

 

この世に私なんているんだろうか?ぽつんと一人残されてしまったようなそんな感覚でした。明るかった性格がどんどんと暗くなり、一人が楽、何もしたくない、考えることも億劫、酷いときはこの世からいなくなってしまいたいと、嫌な考えが巡るようになりました。きっとそんな私が見ていられなくなったのか、はじめは心配してくれていた両親。けれど世間体を気にしている父にはある日から急に無視され、冷たくされ、関わりたくないと言葉も交わさない。母は変な宗教にはまり、週に一度位はわけもわからないお経を読まされ、拝まされ、神頼みに走る。

 

あぁ、これは私が今こんなだからみんなおかしくなっているんだと自分でもわかっていても、マイナスな感情しか沸いてこず、隠れて過ごす日々。昔住んでいた家には部屋に鍵がなかったのですが、ただ一人部屋に籠もっていました。自分だけのテリトリーに誰もいれたくない、邪魔されたくない。それだけが救いだと信じて人がただただ嫌な存在。そんな毎日が2年ほど過ぎた頃に初めてカウンセリングと言うものに出会います。

 

今思えばその頃は思考が全く働かず、連れて行かれた。という印象でした。当時の事もあまり記憶になく、絵を描く、男の先生と何気ない話をする、ただそれだけをして何も変わらないよと思っていたある日、衝撃的な事を聞かされます。

「あなたは間違っていない、そのままでいいんだよ」

顔も名前も覚えていないような、そんな先生の一言で私の中の何かが弾けたような気がしました。

何もかも全てが怖くて敵だった世界に、今一番欲しいものをくれた大人の人。

その言葉をもらった日から、不思議と何も怖くなくなりました。

 

先生からしたら何気ない一言だったかもしれないけれど世界が変わるほどの衝撃で、勇気と希望が持てました。

私の中で大きく弾けた、そんなたった一言。

私がしていることはおかしくないんだ。今思えば、一人の人間としてやっと認められたような、そんな気持ちだったのかもしれません。

訳がわからないけど、マイナスな思考を止めてくれた。

カウンセリングを受け始めた頃から、両親も私に対する接し方が変わり、なんだか不思議な気持ちでした。

それがきっと私の第一のターニングポイントだったのかもしれません。

 

3.私のこれまでの人生(離婚)

そんな私も成人し、普通に恋愛もして後に離婚することにはなるのですが23歳で結婚し、24歳で長女を超安産で出産。

2年後に長男を出産して家族4人で何事もなく、ごく普通の生活を過ごします。娘が小学校へ上がる前にと家を建てて新しい場所へ引っ越し、その時から別れた主人の義母と同居を始めます。

 

家族全員が新しい出発で希望と不安が入り交じっていて、それでもそれぞれ普通に毎日を過ごしていたと思っていた頃、娘が我慢の限界だからと言い始めます。何かと聞けば、息子だけがなぜかおばあちゃんに部屋に呼ばれて凄く叱られていると聞かされます。

息子が叱られるような事をしているのかと聞けば、そうでもないらしい。義母に聞くと「私はそんなことをしていない」「知らない」

の一点張りですぐに部屋に入ってしまいます。

 

私も勤めをしていたから、日中の出来事などは全て義母任せ。

今思えばそれがいけなかったのかもしれないですが、当時の私は何故?可愛いあなたの孫ではないの?何故息子だけ?

冷静ではいられなくなっていきます。

別れた主人にも相談し、母と話してもらったが喧嘩をして戻ってくるだけの繰り返し。もちろん、言い合いもします。その頃から少しずつバラバラになっていった様な気がします。仕事をしている間は家のことを忘れていられる。

子供と一緒にいるときだけが幸せ。どんどんとまたドツボにはまっていく感覚。あ~、これ駄目になっていくやつだなぁと心が訴えます。

 

けれどやっと掴んだこの幸せな生活を守らなくてはいけないと、まず第一に子供たちを守らなくてはと必死に笑顔で過ごしていた頃、

いきなり夫から離婚を言い渡されます。

なぜ?と聞くと理由を言わない。今思えば、きっとこんな生活が嫌になったのだろうなとは思いますが、当時の私はそんな事は思えません。そんな余裕は一切ない。子供の為にと考え、夫の叔母にも相談しますがお願いだから辛抱してくれと言われ、夫からは冷たくされ、つらい気持ちを押し殺しながらどうにかしなくちゃと思い、2年弱は我慢していました。信じられないという気持ちや、やっとつかんだ普通の幸せな家庭というものに依存していたのかもしれません。

 

その後、両家で話し合いをし、離婚が決まります。

子供たちは絶対に辛い思いをさせないと心に決め、腹を決め、実家へ帰る事を決めました。何かとバタバタ忙しくしていたそんな中、退職した職場の上司から突然ラインがきます。

「辛いことがあっても、それは乗り越えられる人にしかやって来ない事だから、きっと雅子さんなら乗り越えられるよ。」

私の中にスッと入ってきた心からの言葉。何もかも背負い込む勢いで動いていた、今一番ほしい言葉でした。

ほんの些細な言葉の、そのたった一言で勇気が沸いてくる。

また私はまた言葉に助けられた。大人になったからわかるその感覚。

明らかにそれが私の第二のターニングポイントでした。

 

4.離婚後の生活

第3のターニングポイントはもちろん、奈美先生と出会えたこと。

 

実家に帰ってからの私は子供二人を幸せにするぞ、頑張るぞ。

その意気込みだけで生活していました。

両親とは同居していたものの、あまり甘えられない、迷惑をかけたくない。

きっと甘え方を知らず育ってきたからかもしれませんが、不器用ながらも一生懸命、子供の幸せの為、と言い訳しながら仕事をし、自分は後回し。それが当たり前でした。

午後からの勤務もあったため、夜に帰ってくると子供たちは寝ていたり、接客業のため祝日休日はお金の為と出勤していたので、なるべく子供たちに接するように心がけました。

昔の自分を思い出し、あんな気持ちには絶対にさせない。させたくない。大事な一度きりの人生、普通な生活をさせてあげたい。

そんな気持ちで自分が辛いことがあった日でも、笑顔を絶やさないように頑張って毎日を過ごしました。

時には別れた夫と子供たちと4人で食事に行くこともありました。

 

娘が中学2年生の頃です。娘が居る部屋へ入ると、腕にリストカットをしていて思わず飛びつきました。私は言葉を失いました。

自分への失望、娘は悪くない、言葉の大切さを身にしみてわかっていたので、問い詰めることはしませんでしたが、自分自身を責めました。

理由を聞くと、友達と実はうまくいっていないこと。

酷いことをされていること、やっと言えたかのように言葉が次々と出てきます。何故気づいてあげられなかったのだろう。

ますます自分を責めます。それと同時に娘が今まで言い出せなかった事が一番ショックで「ごめんね」と言う言葉しか出てきませんでした。一度話してスッキリしたのか、それから娘は何もかも相談してくるようになりました。

 

見捨てないという信念、寄り添う気持ち、感情的にならず冷静に。

学んでいて気づいた事は、それが娘にとっては最適な対処だったのだと思います。その後も色々と相談してくれる娘。

寄り添いながらも、一歩下がって考え、感情的にならずアドバイスをする。そんなやりとりをしていきました。まずはできるとこまで本人に任せる。どうしても無理なら私が守る。

 

息子の方は男なので女の私ではなかなか思うようにいかず、ただ、義母の事が私と娘の中ではネックだった為、甘やかしをしてしまっていました。息子よりも先に行動してしまう。守ってしまう。

そんなこんなで出来上がってしまった息子は自分では何も考えず大事な事は人任せ。ただ救いだったのは、悪く言えば人垂らしだったこと。良き友人に恵まれて学生生活は楽しく過ごしているようでした。子供たちが高校生になったからとあまり手をかけないようにしようと考えるのですが、私と言えば、まだまだ考え方は変わっておらず、子供たちの事が先で自分は後回し。会社でも自分は後回しで周りを優先する。

 

自分に何か困ったことがあっても我慢をする、自分がどうにかしなきゃ、自分の事はやはり後回し。相手のことを優先する。家庭でも会社でも同じように過ごしていると麻痺をして、身体も心も疲れているのに笑顔で振る舞い、時には眠れず朝まで起きていて、それでもそんな姿を見せまいと普段通りに過ごす。少しでも意見を言ってしまったら、無視されるかもしれない。人の目ばかりを気にして休まらない。人間不信の怖さを思い出し、どうすることもできない。休みたいけれど、子供を産んでからは体質が変わり身体だけは丈夫。なのに心だけが疲れていく。唯一の救いは友人や知人に恵まれていたこと。それがなければきっと今の職場を辞めていて、また子供の頃のあの訳のわからない辛さ、悲しさ、怖い気持ち。また同じような生活をしてしまっていたかもしれません。

そんな中、学生の頃からの友人が良い講演があるよと進めてくれました。それが、奈美先生との出会いでした。

 

5・変われることの楽しさ

初めての講演を聞き終わった後、何故か涙が止まりませんでした。

心理学に興味があったのもありますが、自分がもしかしたら変われるのかもしれないと思ったのもあり、講座をその日に申し込みました。

 

いろいろな講座を受けていく中で、交流分析というものが出てきます。何個かの質問を経て出されるもので、ととのえでより細かく分析したものが性格分析表です。自分がどのような人間なのか。誰でも興味のあることですよね。私もその一人です。

こちらがこの性格分析表です。性格の見える化です。

 

青い線が令和4年3月に子供の頃を思い出して取ったものと、赤い線が今年の1月に取ったものです。一番高い点と、二番目に高い点の部分、一番低い点の部分を見て今の状態(性格)を見ることができます。青い線の子供の頃を見ると、高い部分がAC、NP。良い子で世話好き。そして一番低いRCエネルギッシュ。全体的に平坦で低めのグラフとなっています。

 

そして赤い線の今の状態。NPとAで世話好きで合理的、ACの良い子が一番低くなっています。

昔の自分は子どもの頃に優しかった両親の愛を受けて育ったもののいろんな事が重なり、自己否定が強く、何をやっても自分を責めてばかり。自分の気持ちを押し殺して毎日をすごしていました。怒る事もなく、無気力でもちろん行動力もない。他人を責めるような事もない。

ここでしっかりと青い線として表われています。

 

そして今現在の自分。赤い線を見てください。

家族や友人、他人に対しても優しくなれ愛情たっぷり。そして何かが起きたとき、何故?どうしてこうなったのだろうと考え行動する事を優先するようになり、自分の意見も言えるようになり、押さえ込む事もなく過度に自分を責めるような事もなくなりました。

心に余裕が持てるようになったのです。

奈美先生にカウンセリングを受けた時に、あえて変えたい所はどこ?と聞かれたことがあります。

感情に動かされて落ち込み、腹を立て心に余裕がなかなか持てない私は大人的なAをあげたいと伝えました。常に考える様にするといいよというアドバイスをもらい、はじめはなかなかできなかったのですが嫌な事があったら何故?と考える事を習慣づけてみたのです。

嫌な人間にも余裕な態度で接することができるようになり、落ち込んでもそれが長続きするような事がなくなりました。

 

この分析表を見てわかる事は、あきらかに昔と今とでは全く考え方が変わったこと。その時の環境などにも左右されるかと思いますが、

どんな自分でも、自分自身を変えるチャンスがあるということです。

 

子どもの頃はできないかもしれません。

ドン底に落ちているとき、そんな余裕はないかもしれない。

今でも悩んだり、落ち込んだりもします。

他人の言葉に傷つき、眠れなくなる時もあります。

けれど、昔のようにこの世から消えてなくなりたいなんて思わなくなりました。毎日を明るく笑顔で過ごせるようになりました。

娘や息子に対しても余裕を持って接することもできています。

娘から素敵な言葉をもらいました。

「昔よりもお母さんらしくなったね」

娘にとっての母親像がどんなものわかりませんが、凄く嬉しかったので、これも私にとってのもう一つのターニングポイントにしてしまおうかと思っています。

 

不登校、引きこもり、今はとても多いと聞きます。

私も昔はその一人でした。

周りはみんな敵だった。無気力だった。考えることもやめていた。

消えてしまいたいと思っていた私。

 

ですが言葉の大切さを改めて知り、考え、実践し、ネガティブをポジティブに変化させてここに立たせてもらっています。どんな人にもありがとう。と言う言葉を自然と伝えることができています。

自分が変われば、必然的に周りの環境も良くなってきました。

今まで生きてきた中で一番 生きやすいと感じています。

もっと更に生きやすくするために、変化を楽しみながら生きていこうと思います。