心理カウンセラー認定試験 受講者の発表11

2022年心理カウンセラー認定試験 受講者の発表です。

心を元気に…   1番大切なことは何か

タイトル「心を元気に…私の1番大切な事は何か」について発表します。杉山久美です。

今日は仕事中に過呼吸で倒れてしまった私と、不登校になった次男について話をします。

よろしくお願いします。

 

次男の話をする前に、まずは私の自己紹介からさせていただきます。

私の生まれは土岐市です。

中津川市に嫁いで21年になります

主人と高校3年生の長男、中学1年生の次男の家族4人で住んでいます。

子供達も大きくなって4人一緒に遊ぶことも少なくなりましたが、4人が揃うと好きな音楽の話をしたり、ゲームを一緒にしています。

コロナ前は映画をよく家族で観に行ったり、ユニバーサルスタジオジャパンが好きで毎年行っていたのが行けなくなり、とても残念です。

男の子は大きくなると口数も少なくなると言いますが、我が家の子供たちは何でも話してくれるので、親の方が子供に相談することもあります。

私が1番安心できる場所です。

 

私の話になりますが、3年前、私は会社で仕事中過呼吸になり、倒れてしまいました。それも1度ではなく2度も倒れました

1度目は一緒に仕事をしていた人が急に物に当たりだして、その態度はあまりにも酷く、物が壊れそうだったためその方に注意をして、居なくなった後倒れてしまいました。

2度目は、上司と話をしている時に急に倒れてしまいました。

納期の迫った業務に追われ、部下に伝えても別の業務を優先にし、中々手をつけてくれず状況を見て上司も納期を延ばして配慮はしてくれたけど、上司と部下に挟まれていた私は上司と話中に過呼吸になり倒れ、診療所で休んでいても涙が止まりませんでした。

「また…同じ事が起きてしまった。何で倒れてしまったんだろう」

「何がいけなかったのかな。2度も会社で同じ事が起きてしまった…」

 

倒れてもベットの上であれもこれもやらなければいけない、と同僚に伝える始末…。全部1人でこなそうとしていました。

倒れた次の日から、体は思うように動かなくなりました。全身がだるく、今までのようにはいかなくなり、2,3日休暇をとりました。

この頃よく友達から「仕事の代わりはいるけどお母さんのかわりはいないよ!無理したらだめ」と言われていました。

本当にその通りです。友達から言われた時は、その場では理解していても、まだ私は「…でもやらなければいけない、私がやらなければ誰がやるんだろう…。迷惑かけてしまう」と葛藤していました。

後で知る事になりますが、私は認知の歪みがありました。

 

認知の歪み10のパターンとは…

「白黒解釈」「拡大解釈過小評価」「過度の一般化」「レッテル貼り」「結論の飛躍」「責任の取りすぎ」「心のフィルター」「べき志向」「マイナス思考」「感情的決めつけ」がありますが、私は「責任の取りすぎ」と「〜すべき」「〜でなくてはならない」というフレーズが特徴で、自分にも他人にも厳しくなり、怒りや緊張などマイナスにとらわれてしまうのが特徴です。

私にはこの認知の歪みがありました。

完璧を捨て、周りに頼る事も必要だと分かりました。

 

私が倒れた頃、次男が初めて学校へ行きたくないと言いました。

「寒いから…」という次男に私はたくさんの服を着せて「これで大丈夫?」と言ってもダメで、じっくり話を聞いてみると「算数がわからない、どうして学校に行かなきゃ行けないの?」と話してくれました。

学校へ行ける日もあれば、渋々行く日もある…。

仕事の時間に間に合わないし、今まで通りに行けるようにならないかな?どうしたらいいのか、と悩みました。そんな頃、次男が学校から配布されたプリントで実践心理学の講演会がある事を知り、参加しました。

 

講演会で分かった事がありました

言葉ひとつで捉え方が変わる、コミュニケーションが変わる。こんな考えもあるんだなぁと感じました。

「心理学を学び、今の自分を知ることで変われるかもしれない。子供の事も理解できるかもしれない」と思い、実践心理学を学ぶ事にしました

 

仕事で倒れた時も、相手は急に物に当たりだしてビックリしたけど、今思えば言わなくたってわかるだろう、と言葉で言えない分、態度で表していたんだと気づきました。そういうことがもっと早くわかっていれば、私も倒れてなかったかもしれません

上司の前で倒れた時は、もっと早く自分の現状を伝えればよかった。

部下に優先的に仕事をする事を伝え、進捗の報告もして無理な場合は1人で抱え込まず、すぐに上司に伝えれば倒れる事はなかったでしょう。

心理学を学び、理想と現実のギャップからストレスを感じる事がわかりました。

『したい→できない』『やってほしいのに→やってくれない』これがよくある事でした。

例えば、自分を含めて3名宛に業務依頼のメールが来たとします。

自分は他2名のフォロー者として「フォローお願いします」と依頼された場合、理想は「まずは2人がやってくれるだろう」と思っていたところ、現実はやってくれない。そのため「どうしてやってくれないの?」と、ここで理想と現実のギャップが生まれ、ストレスを感じます

それぞれ立場が違えば、発言も違います。相手がどのポジショニングで話しているかもわかると気持ちも理解できるのかなと思います。

自分は2人がやってくれないと「どうしてできなかったか?フォローできていない」と業務の依頼者から言われてしまい、困ります。

他の2人は、できていなくても直接困ることはない。

自分が直接困る事であれば、業務をやってくれたのかなぁと、忙しかったのかな?それを言える環境ではなかったかな?など相手のポジショニングで考えれば、理解できると思います。

 

心理学を学んで、言葉の解釈を考えるようになりました。ストレスは絶対にあります。

同じ言葉を受けても、どう捉えるかは人によって様々です。

例えば、仕事の相手先からクレームが来た場合だと

「またクレームか、いつもイライラしている人だから」と気にしない人

「どうしよう怒られてしまった…」と落ち込む人

「同じクレームは起きないようにしよう」と前向きな人がいます。

自分の捉え方ひとつで、どんな方向にもいきます。

 

ここからは子供の話になりますが、その頃の次男は5年生に進級した時も、なかなか学校へ行けませんでした。朝もなかなか起きることができず、いざ行く時間になり、玄関でドアを開けるまでに20分以上、出てから家の前の道に出るまで10分以上かかり、当然集団登校に間に合わず、私は走って先に行ってと伝え、家に戻り、次男が何とかいけるように話をしました。

当時の私は学校に行けば…、とそのことだけを考えていたと思います。

玄関を出た後、気持ちを切り替えていけるかなぁ、と鍵をかけてしまったこともありました。

子供が気持ちを切り替えるため…と思ってしていた私の行動は、実は「自分の不安を消したい、お願いだから学校に行って…と自分の不安が消えるための行動」でした。今となっては本当にかわいそうなことをしたと思います。

子供も鍵は持っているので開けようと思えば開けられるけど、何分か外に立って考えた後、歩いて行きました。

1ヵ月くらいするとしぶりもたまにはあるもののほとんどなくなり、通えるようになりました。

学校でいじめられているわけではなく、しかし「何のために学校に行くの?楽しくない。家でも勉強できるやん」とよく言っていました。

本当の答えはわからないまま…。

 

ここで心理学を学んで分かった話になりますが、子供の話を聞き、共感しているつもりでしたが、わかっていませんでした。

私の聞き方「なんで行きたくないの」という聞き方は、尋問であることを心理学で学び、気づきました。

なんで?と聞いたら、だって、や、言い訳しか返せません。

「そうか、学校に行きたくないよね。どうしたら行けるかなぁ?」と聞けばよかったのです。

 

進級や新しい場面になると、緊張からか慣れるまでに時間がかかることがわかり、中学になり今までと環境もだいぶ変わるため凄く心配で、初日の朝行く時間が近づくと「お腹が痛い…」とトイレからなかなか出て来ませんでした。それでも少ししたら「行く」と行き始め、心配はしましたが、仕事に行きました

仕事中学校から着信があり、出ると次男がお腹が痛かったため保健室にいました、というものでした。

「迎えに行ったほうがいいですか?」と聞きましたが「でも大丈夫と言って2時間目からは授業を受けています」との事でした。

しかし、頑張って登校した初日の学校帰りに事故に遭い、足を骨折。手術をし、松葉杖の生活になりました。おでこが腫れ、顔に傷もあり、足を2カ所骨折していましたが、何より命があってよかったと思いました。

 

中学入学の次の日の事故。中学のスタートが遅れてしまう。

勉強は大丈夫か?部活も決めなきゃいけない。

中学の生活も、何も分からない状態で歩けるようになってみんなについていけるか?

そもそも新しい場面になると、緊張から慣れるまでに時間がかかるのに、治ってからも学校に行けるのかな?

前向きになるよりも心配事が多く、私の頭は不安の塊でした。

 

事故にあった日から我が家の生活が変わりました。次男の学校生活は、手術した足を高く上げていないといけない事、教室が3階だったこともあり、支援室で次男の体調に合わせて学校に通いました。私は勤務時間を変更して次男が困らないようにしていましたが、フルで勤務をするようになった初日、次男は学校で嘔吐をしてしまいました。

私が仕事に行くと、自分が帰りたいと思っても帰れないから心配していたようでした。1ヵ月半後、松葉杖なしで歩けるようになりましたが、みんなと同じ教室に戻るのはきつく、そのまま支援室に通いました。毎日1時間目だけ受けて帰る日が続きました。歩くのが怖いのもあり、私は毎日送迎…。

いつまで続くのか?歩いて学校に通える日が来るのか?勉強の遅れは大丈夫か?

不安な事はたくさんありました。

私の働き方も次男に合わせ、朝授業を受けた次男を迎えに行った後仕事、遅く出社した日は帰宅も遅くなり、今までの働き方とは変わってしまいましたが、主人が夜勤の日は送迎をしたり、2人とも帰宅が遅い日はお兄ちゃんに家のことを頼んだり、家族で協力して今までとは変わってしまった生活にもだいぶ慣れてきました。

 

生活にも慣れてくると「2時間目も受けられるようになると良いなぁ…」「少しずつ自分で歩いて帰れるといいな」と欲が出るようになりました。

次男も、2時間目行こうかなぁとか自分で言うようになった頃、11月に急にいけなくなってしまいました。

家の中で細かいことが気になったり、小さなことに怖いと言うようになりました。ひとりでいることが怖くなり、一時期1週間笑顔がなくなってしまいました。急に何が起きてしまったのかわからず、毎日1つずつ、これは大丈夫だから怖くないよ、と納得するまで伝えました。

学校や病院と相談し、今は次男のペースで生活をしています。まずは元気でいる事!これを聞いたとき私は「はっ!」と気づかされました。

 

事故にあったと聞いて顔を見たとき、命があってよかったと、その上で全てを受け入れ、その後どう過ごしていくか考えていたけれど、歩けるようになり欲が出てしまったと…。

子供にとって何が1番幸せか?

みんなと同じようにする事?

学校へ行く事?

とにかく子供が元気でいる事!です。

次男の心を元気にすることより、学校に行く事行かせる事が目的になっていました。

普通に通っている人から見れば怠けているように見えたり、なんでいけないの?と思うこともあるかもしれません。

実際主人やお兄ちゃんも、どうしていけないの?と思っていましたが、笑顔がなくなってしまった時に次男の辛さに気づくことができました。

 

1番理解してほしい家族が次男の辛さに気づいてわかってくれたのは、本当にやっとわかってくれたと思いました。

病院で「不安な時は認知行動療法を実践すると良いよ」と勧められました

そういえば講座でも学んだなぁ、と思い、認知行動療法ノートで次男と私は実践しています。

いろいろな不安はあります。本人も不安をこぼすこともあります。

また事故に遭うかもしれない…怖い。そんな時は「でも今日は起きなかったよね?」と都度不安を消して、繰り返し繰り返して不安をなくしてあげたいし、私が不安に思っていると子供も不安になってしまいます。

どんなことがあっても、大好きな子供はかけがえのない存在です。

何より子供が笑顔で心が元気でいられることが1番です。

 

毎日生活していると、ストレスはあります

言葉1つの解釈で、自分がすごく楽になれることもあります。

価値観はそれぞれ違います。

次男が事故にあったとき「なんでこんなことになってしまったんだろう…」と考えましたが、1番大切なのは心が元気でいること。

心理学を学んでいなかったら、落ち込むばかりで考えられなかったかもしれません。

みんなと同じように過ごせない次男に、学校にいかせなきゃいけないと玄関に鍵をかけた時のように、次男の心の声を聞けず追い詰めていたかもしれません。

 

自分にとって何が1番幸せなのか…。

心が元気でないと好きなこともできません。

心理学を学び、私はそれを知ることができました。

今思い出すと、子供が事故にあった時、あまり泣くこともなく取り乱すこともなかったなぁ、と気づきました。

昔の私だったら連絡を受けて過呼吸になり倒れていたかもしれません。病院へ向かうこともできなかったかもしれません。

まだ葛藤したり悩んだりすることもありますが、私は、1番大切なのは心が元気でいることを知り、心を優先に考える事を手に入れました。あれから過呼吸になった事は1度もありません。子供が不登校でもそれでも良いと思えるようになりました。

何が起きてもちょっと位の事では動じなくなりました。

自分に自信を持ち、心を元気に保てるようになりたいです。

以上で発表終わります。