心理カウンセラー認定試験 受講者の発表10

2022年心理カウンセラー認定試験 受講者の発表です。

【気づき】 ~本当の感情とは~

今日は、心理学を学んだことによって私がどんなことに気付いて、どんな考え方、捉え方に変化していったのかを、私自身の子供のころの体験まで振り返りながらお話をさせて頂こうと思います。

何故、心理学が大切なのか?やっと私の心の中にじわじわと体感していっているような気がしています。それは、自分の目の前で起こった問題とされることは、私自身に根本原因があることに気づいたからです。

いかに自分が未熟だったか、また私自身の本当の感情(特に恐れていること)にも今、少しずつ気付かされています。

これからお話しする中で「私も一緒だ!」と共感だったり、新たな発見だったり、一人ひとりの心の中に一つでも気付きを感じてもらえたら嬉しいなと思います。

 

 

『私の自己紹介』

最初に私の自己紹介からさせて頂きます。

多治見市出身、好きなことはパン屋やカフェめぐり、ショッピング、音楽を聴くことです。ふわふわの焼き立てパンや、自然の素材を生かしたような美味しいものを食べると、幸せを感じ、癒されるんです。昔から音楽を聴くことが好きで、最近は友人とカラオケで歌うこともあります。私のストレス発散法であり、楽しみの1つでもあります。

 

『私の家族紹介』

次に私の家族を紹介します。主人と娘が二人、義理母の5人で、義理母とは2世帯となっています。主人は結婚当初からほとんど休みがない、仕事で忙しい人です。次女は25歳で、3年前から一人暮らしを始めていて、たまに帰ってきたときには一緒にランチをしたりショッピングしたりします。長女は28歳で、専門学校卒業後アルバイトをしていましたが、ある時を境に不眠症になり、今はなかなか仕事に就けない状態ですが、自分自身と向き合っている状況です。この長女が、私の学びに特に深く関わってきました。

 

『私の子育てについて』

ここからは、長女と私がどのように深く関わってきたのか?順を追ってお話していきます。

今までの私の子育てを振り返ってみると、子ども自身の気持ちが何も分かっていなかった、未熟だったと、本当につくづく思います。

自分の感情ばかりに囚われ、うまくいかないことに腹を立て、子供のことを大事に思っているはずなのに、どうして思い通りにならないのだろう、そんな風に思いながらずっと子育てをしてきました。その頃の私は、親は正しくなければならない、良い妻、良い嫁、良い母でなければならないという、世間の目を気にした気持ちを強く持っていました。理想の自分に近づけるようにしっかりしつけなくてはと、必死だったのだと思います。更に心配性な私は、子供を私の見える範囲以内において、自分が心配にならないように過保護、過干渉になっていたのだと今になって感じています。

 

『私の生い立ちについて』

このような私がどのように育ってきたのか、ここからは私の生い立ちについてお話しします。

私は3人姉妹の長女で、両親が共働きだったので、時々家の手伝いを頼まれたり、妹の面倒を見ることもありました。私のすぐ下の妹が生まれたとき、私はまだ3歳でしたが母親と一緒に寝ることはなく、一人の布団で怖かったのかバスタオルを丸めて頭の周りを囲むようにしていたのを、凄く覚えています。

「さみしいから一緒に寝たい」が言えなかった。きっと、お姉ちゃんだから我慢しなくちゃいけないんだと、何となく感じていたのだと思います。

そんなさみしさを抱えながら甘えることもできず、今考えると妹をよくいじめていたのは、母親の気を引こうとしていたのかもしれません。

 

母親から宿題を教えてもらっている時は、また怒られるのではないかといつも緊張してすぐに理解できなかったり、料理やお手伝いをしても、もたもたしていたり失敗すると頭ごなしに怒られ、兄弟げんかをすれば、私だけ「うるさい!」と叩かれ、話も聞いてもらえず、家から追い出されたこともありました。

それ以来、「私は自分の考えは言わないほうがいい、人に合わせていればいい、どうせ何をやってもうまくいかない」を無意識に受け取り、あたりさわりのない良い子でいる選択をしたのだと思います。母親の顔色を伺い怒られないように、機嫌を損なわないようにずっとずっと我慢してきました。社会人になっても、結婚しても、子育て中も、ずっと私は良い人を演じ続けてきたのです。

これが私のインナーチャイルドで(幼いころの我慢させられたネガティブな感情)が、大人になった今も、私の心の中にずっとうずくまっていたのです。

私のこのずっと我慢に我慢をため続けて爆発してしまったきっかけが、子育てでうまくいかなくなった時からでした。

 

『長女の成長過程について』

ここからは、その子育てでの長女の成長過程についてお話します。

長女は生まれてすぐの頃から、本当によく泣く敏感な子でした。

寝つきがすごく悪く、やっと寝かしつけたと思ったらすぐ起きてしまう、の繰り返しで、私自身もゆっくり寝ることが出来ませんでした。

2,3歳になっても極端に人見知りが強かったので、なかなか私の親にも預けられませんでした。人と接する場所では私の膝の上から離れようとせず、私から離れて他の子たちと一緒に遊んでいた記憶は、ほとんどないくらいです。

周りの子たちと比べて大きな違いがあることに、不安と焦りを感じていました。だれにも相談することもなく、いつもイライラして感情的に怒ってしまう日々でした。

この時の私は自分の気持ちに余裕がなく、子供が不安な状態になっていることさえ気付いてあげられなかったのです。

今となっては、あの頃にのんびりと構えて共感してもらえる人がいたら、どんなに心強かっただろう、と思い返すこともあります。

 

不安な気持ちを持ったまま長女は妹が生まれたことで、お母さんを取られたと思ったのか、私が下の子を抱き上げると泣きわめき、癇癪を起こすようになりました。言うことをきかない娘に対し、イライラがつのり「もう、うるさい!」と叱ってしまいました。

その時心の中では、「あ~、かわいそうなことしちゃったかな」と思ってはいたのに、その本当の想いをあの状況で娘に伝えることが出来ませんでした。今思えば、私も妹が生まれたとき寂しい思いをして娘の気持ちは分かるはずなのに、どうして気付いてあげられなかったのだろう?あの時、長女を優先し、優しい笑顔で抱きしめてあげられる母親でありたかったなと、今は凄く痛感しています。

 

そして、保育園に入園。

みんなが楽しそうに朝のお遊戯をしている中、娘だけが一人ぼっちで立ちすくんでいるのを見ていたら、「可哀想」という気持ちと、「何でうちの子だけこうなのだろう?」と疑問が浮かんできました。その時の保育士さんも、「私もどう対応したらいいのかわからないので、一度児童相談所に相談してみたらどうですか?」と言われました。相談員の方からは、普通に受け答えして、ブランコで遊んでいる娘の姿を見て、「特に問題はないようですね」と判断されました。問題はないと言われ、少しホッとしたようで、でも何か私の中で納得がいかないような、そんな思いでした。

それは、集団の中にいるときの娘と、家での娘は全く別人だったからです。保育園ではほとんど喋らないのに、家では妹と歌を歌ったり面白おかしくおどけてユニークさを見せたり、外遊びが好きで仲が良かった友達とかくれんぼをして走り回り、活発な姿をみせていました。

 

何が問題で何が問題ではないのか、よくわからない状態で小学校へ入学。

3年生くらいから、算数の応用問題や国語の読解力の理解に時間がかかるようになりました。

娘に宿題を教えるときはいつも「さっきも説明したでしょ。何でわからないの?」

と頭ごなしに怒ってばかりで、この時とばかりに怒りの感情を爆発させ、責め続けていました。この時、娘に勉強に対して苦手意識を植え込み、劣等感を持たせてしまったのかもしれません。

今これを書きながら、私が子供のころ母親に宿題を教えてもらっていた時、頭ごなしに叱られた時と同じように娘にもしていたと「はっ!」として、自分に対してガツンと衝撃をくらったような感じでした。なぜならそれは、私が幼い頃の我慢していた感情のうっぷんを晴らすかのように、娘にぶつけていた事に気づいたからです。

 

中学に入学し、2年の時クラス替えがあり仲が良かった一人の友達と離れてしまうと、クラスの中で孤独になり、体調不良を訴え学校を休むようになりました。娘から、以前から陰湿ないじめにあっていたと聞きました。まさか自分の子がいじめにあうなんて、学校に行けなくなるなんて、想像もしていませんでした。

それでも学校だけは行かなくてはと、必死になっていました。担任の先生に何回か自宅まで来てもらいましたが、何も変わりませんでした。焦っていた私は「出席日数足りなくなるよ。どうするの?」「高校に行けなくなるよ。どうするの?」と娘に不安をあおる事ばかり言い続けてしまったのです。

 

そのうち娘は、自傷行為の一つである自分の髪の毛を抜くという行動をとるようになっていました。抜毛症といって、ストレスによって不安や緊張状態になると、無意識に抜いて、自分で止めたい、と思っても繰り返してしまう症状です。ストレス発散の矛先を自分に向けているのです。気づいたときは本当にショックで何が何だかわからず、パニックになっていました。

「何で、こんな事になってしまったの?」「何がそうさせてしまったの?」「どうして普通じゃないの?」と自問自答するばかり。私は子供がただ普通に成長して、普通に幸せになってくれたらそれだけでいいと思って育ててきたはずなのに何で?と、理想と現実のギャップに打ちのめされていた私は、自分の感情すらコントロール出来ない状態でした。

私自身の娘に対する言動、接し方を見直すことより、目の前で起こった出来事だけを何とかしようとしていたんです。

 

『奈美さんとの出会いまで』

ここからは心理学を学ぶ前の娘とのやり取りの内容と、奈美さんとの出会いについてお話します。

娘が成長するにつれて、娘も色んな知識や情報が入ってくるので、お互いが知識のぶつけ合いでした。どちらかと言えば娘の方が言葉巧みで、私の中では勝ち負けの争いの状態でした。私が「お母さんはこうしたほうがいいと思うよ」と言うと、「それはお母さんの考え方であって、価値観を押し付けないで」と言われる。

また、「そこまで言うのなら自分で考えてみて」と少し突き放すように言うと、「私のことわかってくれない。お母さんは自分のことしか考えてない」と言うのです。

 

今冷静になれば、確かに価値観を押し付け、私が「わかってほしい!」になっていたように思います。娘の感情に巻き込まれ、お互いにわかってほしい状態になっていました。どういうやり取りをしたら、良いコミュニケーションが取れるのか分からなくなっていました。

私の行動と気持ちに違和感を感じ始めていた頃、奈美さんと出会いました。

最初のカウンセリングでは、私の話に「そっかぁ、そう思うよね。頑張ってきたんだね」と、初めて今の自分を受け入れてくれた、とホッとした安堵感を感じ、心の底から救われた気持ちになり、自然と涙が溢れてきました。

こんなに身近に感じられるカウンセラーさんは初めてで、これから関わって行きたいな、信じてみようかなと思い、心理学を学ぶ決心をしました。

 

『カウンセリングと診断』

実践心理学講座は、奈美さん自身の体験談を取り入れながら進めていくので、解かりやすく勉強っぽくないところが、私には楽しく受けることができました。飾らない人柄や、笑える要素満載で「こんな感じの学びもあるんだ。こんな風に自分を出しても大丈夫なんだ」と色々な発見がありました。そして、少しずつ私の中の常識という壁が剥がれていくのを感じました。

以前から娘に「奈美さんに一度会ってみたら」と勧めても、頑なに拒否し続けていましたが、1,2回顔合わせしただけで奈美さんを受け入れ、カウンセリングができるまでになりました。奈美さんに会っている時の娘の笑顔を見られるだけで、私は本当に嬉しかったです。大きな進歩でした。

 

娘のカウンセリングで、一度病院に行ってみたらどうか?と進めてくれたので、私は娘と納得のいく心療内科を探し、この時初めて発達障害の診断を受けました。

自閉症スペクトラム症と、強迫性障害でした。

娘が幼い頃から周りとなじめなかったことや、集団行動が苦手だったこと、大きな音や人混みなど敏感に感じやすく疲れやすかったこと、学習面や生活面で応用がきかなかったことなどの原因の一つがここにあったんだということがわかり、頭の中が少し整理されたように感じました。

そして、私に「今まで一人で抱え込んで苦しかったよね。これからは、私と病院と○○で考えていこう」と言ってくれた時、ずっと背負っていた肩の荷が下りて、気持ちがスーッと軽くなっていきました。

娘も奈美さんと会える日を楽しみにしていて、信頼して自分の事を話すようになっていきました。私と娘にとって、コロナ禍でも対策をしながらカウンセリングを続けてくれたこと、本当に感謝しかないです。

 

『自分自身との葛藤』

それでも診断されたとはいえ、私の娘への接し方を急に変えることは出来ませんでした。何気ない会話でぶつかる事が何度もあり、特に夜寝る前、娘は不安に襲われるとその度に、安心する言葉がもらえるまで話し合いが続くことがあり、それが夜中になっても続く事もあったため、凄くストレスを感じていました。それは、投げかける言葉がいつも私の心にグサグサと突き刺さり、責められたと感じていたからです。

具体的には、ずっと続いている娘の不眠症です。夜、不安で寝られなくなってから更に薬を飲んでも寝られなかったらどうしよう、と薬も飲めない状態が続き、結局不安がまた不安を生み出し、体にも支障をきたすほどになっていました。

「背中が痛い、息が吸えない」「何で私だけこんな目に合わなくちゃいけないの?死んで楽になりたいよ」

そんなことを聞かされた時は、本当にこのまま死んでしまうのではないか、と、とてつもない不安と恐怖に襲われました。何とか一刻も早く寝られるようになって欲しい一心でYoutubeで検索したり、本で調べたりして「規則正しい生活にしないと」とか、「朝、散歩したら?」とか「楽しいこと考えてみたら?」と解決方法ばかり伝えていました。

 

でも娘が欲しかったのはアドバイスではなかったのです。

「お母さんは、未だに何も変わってない。何で私がお母さんに教えないといけないの?私の方が辛いのに、私の方が聞きたいのに、私が辛い状況にある事をわかってほしいだけ。本当に何とかしたいと真剣に向き合っているなら変わるはずだよ」と、何度も訴えてきました。

そんな娘に対して、私の頭の中では「私、一生懸命やっているよね?勉強して変わろうとしているよね?何でそんなこと言われないといけないの?」と思う反面、心の奥底では「確かにそうだよね、気持ち全然解ってなかったかもしれないね…」と感じていましたが、それを素直に認めて、言葉にして伝えることがどうしてもできなかったのです。

このときが、私も娘も精神的に一番苦しくて苦しくて、本当に辛い時期でした。娘は私に助けを求め、そんな娘を受け止められない私も、早く誰か助けて!と心の中でいつも叫んでいました。得体の知れない何かと葛藤しているようでした。

 

『恐れの感情の気づき』

何故、いつも同じ事を繰り返してしまうのだろう?起こる出来事は違っても、こじれるパターンはいつも同じなのです。何度もやり取りを繰り返し、何度も自己嫌悪に陥り、ある時やっと腑に落ちました。それは、攻撃されたとか、責められたと感じると、子供のころの満たされなかった心の傷がふつふつとぶり返してくる事に、ある時気づいたんです。

冒頭でお話しした、私が一番恐れていた感情は、幼い頃、母親から責められ怖い思いをしたことで、娘から責められる度にその過去の記憶がよみがえり、恐れを感じていたことだったのです。

私は娘に言われたことに対して、その恐れの感情に触れたくない、認めたくない気持ちがあったから「そうだよね」の素直に認める一言がいつも言えなかったのだと気づきました。この時から、自分の本当の感情に向き合ってみようと思い、次のような事を実践しました。

 

『娘への対応』

・イライラ、モヤモヤしたら、基本の感情(苦しみ、悲しみ、不安、怒り)で、今、どんな気持ちになったのか、自分と向き合い確認する。

・話を否定せず、最後まで聴く。そ段活用(そうか、それはつらいよね、それもいいね)を意識する。

・娘の良いところを伝える。

 

『私の変化』

・自分の感情に目を向けるようになってから、娘に対しての私のイライラの怒りの感情は、元々は自分の母親に向ける感情であって、悲しみだったことに気づき、怒る前に一旦冷静になれるようになりました。

・主人には、娘のことで「助けてほしい」と言うことが出来ました。

  周りの人に「助けて!」と言える勇気、本当に大事ですね。

・娘の話をしっかり聴くことで、私を責めているわけではなく、本当はお母さんのせいにしたいわけでもない。ただ、自分が感じていることを「そう思っていたんだね」と認めてほしかった、わかってほしかったと言うことを理解し、受け止められるようになってきています。

・良いところ見つけをすることで、娘の良いところをたくさん見つけました。

当たり前に出来ることだって良いところなんです。お菓子作りに挑戦したり、晩ご飯のおかずをパパっと作ってくれたりします。今までも高校は自分で探して決めたり、海外でホームステイもしました。あの頃の娘にとって、凄く勇気のいる決断だったと思います。

 

『娘の変化』

・積極的に外に目を向けて、興味のあるものに挑戦するようになりました。

・一緒に近くの登山をして、そこで出会う人とコミュニケーションを取るようになりました。

・波はありますが少しずつ眠れるようになってきています。

 

『心理学に出会って』

心理学に出会ったことで、停滞していた私の問題が少しずつ動き始めているように思います。私が自分の問題として向き合えるようになったのも、娘が色々と挑戦出来るようになったのも、理解してもらえる、安心出来る奈美さんの存在がとても支えになっていました。私自身も、心に少しゆとりが出来ました。

 

『写真』

最近、久しぶりに娘たちの幼い頃の写真を見ました。笑っている写真もたくさんあり、辛いこともあったかもしれませんが、楽しい時間もあった事を思いだしました。この写真は、娘が5,6歳の時の写真です。ここでは登場しなかった下の娘からも、色々と気づかされる事が多々あり、娘たちを通して自分を知ることで、色々な捉え方や視野が広がったように思います。

子供に対して、愛情がなかったわけではないんです。愛情があるからこそ、一生懸命になりすぎていたのかもしれません。

 

『今までの経験で感じたこと、気づき』

私の幼いころの体験や今までの経験で感じたことは、子供は素直に表現しているだけ、ということ。その素直な表現を素直に受け入れてくれる人がいないと、誰にも本当の感情を吐き出す事ができません。我慢して我慢して、本当の感情に蓋をしてインナーチャイルドとなり、大人になってから何かをきっかけに、怒りとなって現れてくるのです。

私がそうでした。

それを周りにぶつける人もいれば、自分にぶつける人もいます。子供も周りの人も苦しくなります。特に子供はどこにも居場所がなく、とてつもない苦しみを背負ってしまいます。

 

子供の身近にいる人は誰なのでしょうか?

子供のSOSに、誰が真っ先に気付いてあげたらいいのでしょうか?

子供が必死に訴えている人は誰なのでしょうか?

それは、親ではないかと思うのです。娘にとって、母親である私だったのです。

子供の純粋なありのままの姿や、素直な感情を受け入れ、親も素直な感情で表現することが大事だということ。そのためには、まず親の私自身が自分の問題だと認識し、恐れや不安と向き合い、本当の感情に気付く事。そして、自分をわかってあげる、認めてあげる事だと思いました。

それが私の大きな気付きです。