心理カウンセラー認定試験 受講者の発表8

2022年心理カウンセラー認定試験 受講者の発表です。

 

 今日は、「人の役に立ちたい。と、思う気持ちが強すぎたために、自分を見失っていた私が、相手の本当の幸せを願って行動ができるようになった話」をしたいとおもいます。

 

 まずは自己紹介からしたいと思います。

現在同居家族は、96歳になった姑、私たち夫婦、長男夫婦、その子どもの双子の男の子と女の子、2歳になった男の子の3人の孫と、三男の9人家族です。阿木の田舎でも珍しい大家族です。

 三男は、高校の時にうつ病を発症しました。高校は中退しましたが、高校認定試験を受け専門学校に入り、卒業後はシステムエンジニアとして働き、名古屋で一人暮らしをしていました。

 しかし、4年前うつ病が再発し、会社を辞めて家に戻り現在に至っています。

 

 私は今66歳ですが、子どもに関わる仕事を現在もさせてもらっています。この仕事を始めて16年になります。そろそろ若い人たちに後を託して、普通のおばあちゃんになろうと思っていた時でした。

親友が癌になり、何とか気持ちだけでも支えてやりたくて、カウンセラーの勉強をしたい!と思っていた時に、仕事の仲間がこの「ととのえ」で心理学の勉強をしていると聞いたのです。

 これが「ととのえ」との出会いでした。友達はざんねんながら亡くなってしまったのですが、以前から興味のあった心理学を勉強することにしました。

 毎回毎回「えっ!!なみ先生、私の事言っとるの!」「今の悩みそのまま!」と、驚きの連続でした。そして「私はこれでいいんだ!」というような自己満足の甘いベールを剥がされて、丸裸にされていくような思いでした。

 

もう少し話しを進めますね。

 まず私のエゴグラム診断での性格診断を見て下さい。NPが高く、CPが低いという結果が出ています。

自分でもびっくりするほどこの表の通りでした。

 高校の時はクラブの部長をやっていたのですが、下級生から「小倉さんって(私の旧姓です)いつもにこにこしとるだけやね」と言われたことがあります。部員たちと仲良く楽しく過ごす事は得意でしたが、厳しく注意したりすることは苦手でした。

 仕事でも、仲間の和を大切にし、頼られると自分が一杯一杯になってしまっても、嫌とは言えず「自分がやらなければいけない!」と思っていました。そしてそれが自分の良いところだと思っていました。

 しかし、心理学を勉強するうちに「いい人」と思われることは決して良いことばかりではない、と分かってきました。周りの人が私を慕ってくれたり、若い人が「鷹見さん家のお嫁さんになりたいな」なんて言ってくれるのは優しいだけで、厳しく悪いところを指摘したりしないから、楽なだけじゃないか…と。でもそれではその人の能力を伸ばしたり、困難を乗り越える力を付けてやることが出来ない、とわかってきました。

 

 そんな私が試されるある出来事がありました。

 仕事場にアルバイトに来てくれていた男の子がいました。今まで勤めていた仕事を辞めたところで、子どもと遊ぶ仕事なら楽しそうだから、と来てくれていました。私も彼がこの仕事をしていくうちに、少しでも自信をつけ自分の道を見つけてくれればいいな、そんな手助けができたらいいな、と思っていました。

 何回か来るうちに子どもたちも慣れてきて、若いお兄ちゃんを試す行動をするようになってきました。彼はつい子どもたちに煽られて、本気で怒ってしまいました。

 アルバイト担当だった私は、同僚たちからは「あの子はこの仕事あわないんじゃない?早く辞めさせたら?」と言われましたが、助けてやりたい、なんとか頑張ってほしいと思い、彼に「子どもはそうやってあなたを試して、あなたがどんな行動をするか見ているのやよ。どうしても腹がたったら、冷静になるまで少し離れているといいよ」と話しました。

 彼は、「わかっているけど、ついカッとなってしまって…」と言っていました。

 

 が、それからも同じようなことが何回かあり、その都度話してきたのですが、ついには腹を立てて、子どもを追い掛け回してしまい、子どもを怖がらせてしまいました。そして、子どもたちから離れてポツンと立っている彼がいました。そして、アルバイトも休みがちになりました。

 私は彼を何とかしてやりたいと思うあまり、彼をかばい過ぎていました。仕事として守るべき物は子どもたちだったんですよね。これでは仕事にならない、この仕事は彼には向いていないと信頼のおける同僚とも話し、その人と二人で彼に、他の道を考えた方がいいと話しに行くことにしました。

 

 皆さんはこういう時どう思われますか?

仕事なのだから合わなければ辞めてもらうのは同然でしょ、と思われる方もいらっしゃるでしょうね。しかし、私は前の表の通り、CPが低いのでとても苦手とするところなんです。

 けれど、一緒に行った同僚はNPもCPも高い人だったので、彼がいつまでも向いていない仕事で甘えながらずるずると過ごすより、早く切り替えて次の仕事に向かった方がいい、と相談し、彼との話に臨みました。

 彼は私たちの言おうとしていることを察して、緊張した面持ちで座っていました。

私たちが「この仕事はあなたには向いていないと思うよ」と行くと、彼は少し考え、はっきりした声で「やりたいです!!もういちどやらせてください!」と言ったのです。それを聞いたとき、私の体の中で「ドーン!!」と音が響き、体が揺さぶられたかと思うほどでした。今までに体験した事のない感覚でした。体中の血が逆流したかのようでした。

 その時、彼が三男に重なって見えました。三男も社会に出たい、何かしなければ…ともがいているのではないかと。

 

 今までの私だったら、「頑張ろうと思っているんだね。わかった、もう一度やってみていいよ」と言っていたと思います。しかし、今回はそれを言っても、同じことの繰り返しだと分かっていましたから、感情をグッと抑えて口を閉ざしていました。そのかわり涙がポロポロ溢れてきました。

 一緒に行ってくれた同僚が上手に話してくれたので、彼は違う道に進むことを決断することが出来ました。

 

 この体験があってから、私は自分の良さである(人の役に立ちたい)と言う気持ちや(やさしさ)をどの場面で出すか、苦手な(きびしさ)をどう増やしていくか、を意識していくようになりました。

最近では、若い人たちの話を聞いて「それいいよ」と肯定するだけではなく、違うな、と思うところを、指摘することを意識して出来るようになってきました。

 

 こんな私ですので、仕事の事ばかりではなく、当然家庭でのエピソードも沢山あります。

 

 仕事場では「仕事だから…」と割り切れるのですが、家では“良かれ”と思って、やり過ぎてしまうことが多々あります。特に、かわいい孫たちのことになると、お嫁さんより先に動いてしまう事があります。

 上の双子の孫たちには発達障がいがあります。自分の思いがうまく伝えられなかったり、思っていたことと違ったことが起きたりすると、不安になってパニックになってしまいます。ピュアで本当に愛おしい子どもたちですが、育てるのが少し難しい子どもたちでもあります。苦労している新米ママを助けようと、帰りの遅い息子の代わりに孫たちの寝かせつけもやっていました。川の字の添い寝が、ばーばと孫とお嫁さん…なんて、少し変わった構図になっていましたが、かわいい孫が「ばーばと寝る!」と、ギュッと私にくっついて寝てくれることに「双子だから…。愛情不足にならないように、少しでも私が助けてやらなくちゃ!」という思いでいっぱいでした。

 もちろん、ミルクを飲ませるのも1人は私が、離乳食をたべさせるのも、うんちを替えるのも…私。

お嫁さんも最初は嫌だったかもしれませんが、だんだんそれが普通の生活になっていきました。夫にも「お前はやり過ぎだ!」と言われていたのですが、やはり「助けてやりたい、孫の為にも」という思いが強かったのです。

 

 そして、三人目の孫が生まれました。

その頃は私もこの心理学講座を学んで、自分の性格、CPが低いという課題も少しずつ見えてきていました。

 ある日、お嫁さんがランチに連れて行ってくれました。店への坂道を歩きながら、ママが2歳の孫の手を引こうとしました。その時、孫がパッとママの手を振りほどき「ばーば」と私の手を握りに来たのです。ママの「え~!!」と言う声を聴いたとき、「しまった!」と自分が今まで、お母さんがやるべきことまでやり過ぎてしまっていたことに気が付きました。

 

 先日、2年生の男の子が「ばーば、今何歳?」と聞くので「66歳だよ。」と答えると、「え~!じゃ、ぼくが大人になったらもう死んじゃうに!」と言うのです。そうなんです。私がいくら孫に愛情を注いでも、10年後、20年後、同じようにしてやれるわけではありません。それは、お母さんの役目です。子どもはどんなことがあっても、お母さんを一番求めています。(時間がありそうならさくらの絵を見せる)

 発達障がいのある双子の子育て。簡単なことではありません。それに加えてまだ小さい3人目。大変だけれども困難を乗り越えてこそ、お母さんと子どもたちの絆は深まります。

 今まで私は先走ってその困難を取り除いてしまい過ぎ、お母さんと子どもたちの絆を切ってしまっていたのかもしれません。

 

 このととのえ心理学に出会っていなかったら、そんなことも気付かずただ“良かれ”と思って、同じことを繰り返していたかもしれません。今私は、困難を取り除いてやるのではなく、若い親が困難を乗り越えていく時に、どう見守って支えてやれるのかを考えるようにしています。

 

 先日こんなことがありました。

 下の孫が風邪をひいて、保育園を休ませるかどうか、誰が面倒をみるのかを、洗い物をしている私の前で息子夫婦が揉めていました。

 息子はその日休みでしたが、午前中用事があり、予定していたより遅くなり15時頃までかかりそうだ、というのです。お嫁さんも仕事は休みたくないようです。私は昼には仕事に行かなければならず、昼過ぎの2,3時間を誰がみるかで揉めていました。今までの私だったら、自分も仕事があるにもかかわらず「いいよ。私が仕事の都合をつけてみてあげるから大丈夫」と言ってしまうのですが、ちょっと我慢…。様子を見ていました。

 どう決着をつけたのかその時はわからなかったのですが、お嫁さんが私の所に来て「私ってわがままかな~」と言うので「子どもが小さい時はよく病気をするから、しっかり働けない時があるよね」とだけ言っておきました。

 

 もし、このまま心理学を学んでいなかったらどうなっていたでしょうか。

 まず、仕事は辞めていたでしょうね。しかも「同僚に責められてしまった…」という嫌な思いや、「何とかしてやろうと思ったのにうまくいかなかった」という挫折感を残して…。そして、「普通のおばあちゃんにならなくちゃいけないから…」と逃げ出していたと思います。

 

 家ではどうなっていたでしょう。

 お嫁さんの気持ちにも気づかず甲斐甲斐しく孫の世話をし、全部自分がやってしまっているのに「何故あんたはやらんの!」とお嫁さんに不満を募らせ、しかもそれを口に出していう事もせず、嫁姑の中が険悪になり、孫たちは「ばーばがなんでもやってくれるから」と全部私にやらせ…けれど何年かして大きくなると「ばーばなんか!」と見下して言う事を聞かなくなり、自分が先回りして何でもやってしまってそんな関係を作ってしまっていたのに、「私があんなに可愛がってやったのに。親のしつけが悪い!」なんて、爆発するか。爆発すればまだいい方で、もう気持ちがぐちゃぐちゃになって、毎日えらい思いを抱えて、鬱々と下を向いて生きていたかもしれません。

 考えるだけでゾッとしますね。

 

 こんなふうに心理学を学ぶ中で、客観的に自分を見ることが出来るようになり、自分の良いところ(NP)をいつ出すのか、また、弱い部分(CP)をどう高めていくのかを意識するようになりました。

本当にこのととのえで心理学を勉強することが出来てすっきり生きることが出来、本当に良かったと思います。

 

 今日は、「人の役に立ちたいと思う気持ちが強過ぎたために、自分を見失っていた私が、相手の本当の幸せを願って行動が出来るようになった」というお話をさせて頂きました。

 

ありがとうございました。