心理カウンセラー認定試験(第4期) 受講者の発表2

『許せない気持ちが正義をつくった』

 こんにちは、伊藤直美です。

まず、初めに宣言します。私はこの30年間、頑張って来た自分を褒めてあげたいと思います。そして、これからは自由に生きます!

それでは、私の発表のテーマは「許せない気持ちが正義をつくった」です。

自己紹介

まずは自己紹介ですが、名前は伊藤直美、通称『直さん』です。年齢は55歳、正確には明日55歳になります。家族構成は義母、夫、子供2人です。職業は、今はまだ会社員です。業務ですが、今の会社は勤続33年になりますが主に採用や産業カウンセラー業務を担当しています。

上司からのパワハラ

これまでの私についてですが、私は長い会社生活で2年前に最悪の上司と出会いパワハラを受けるようになりました。上司はこんな感じです。人の好き嫌いがとても激しくて『何故、こうなるの?』『正しいと思っているの?』と冷たい言い方で攻撃するんです。

でも答えは一切教えてくれませんでした。

 

また、報・連・相のやり直しを要求しました。

じゃあと、相談すれば『それは今聞く事じゃない』と拒否され、報告すれば『事後報告だよね』と叱責をされました。自分で指示をしておきながら問題が起きると『何故、こんな事をするの?』と責めるんです。そして、2言目には、『素直に、謙虚に』と言って私が逆らえないように支配したんです。そして、個室に連れ込んで人格否定までされました。

 

こんな上司はもう嫌だ、こんな上司と関わりたくない、こんな上司の下で働けると思いますか?私は働けない、そう考え退職を決意しました。そして、今後の方向性を見い出だそうと探し当てたのが“ととのえ”の講座でした。

 

退職を決意した私でしたが、講座を受けて気持ちが代わりパワハラ上司を訴える事が出来ました。退職を止められた時は、悩んだ末に思い留まりましたが、私が退職を思い留まった本当の理由があります。それは、伊藤家の義妹と義母がつくった借金返済があったからです。33年の会社生活のうち30年間を借金返済に捧げた私の人生・・・

私の中にある正義

そんな私の特徴は、責任感が強く負けず嫌い。思い立ったらすぐ行動をします。

いつも波風を立てたくなく周囲とうまくやって行きたいと思っています。

それで、争い事を避けるため言いたい事を言えず、結婚後は更に我慢をしてしまいました。いつしか埋もれてしまった私の心・・・。しかし、理不尽な事が蓄積すると自分の中の正義が目を覚まし鉄槌を下そうとします。私の中にある正義、その正体は一体何か?それに気付かせてくれたのは奈美先生でした。

 

心理学で変わった事ですが、私の“正義”を紐解く鍵は自分の過去と向き合う事にありました。『自分の棚卸しをしてみたら?』とアドバイスをくれたのも奈美先生でした。

 

これまで自分にトラウマや生き辛さがあるなど全く気付く事なく、でも苦しみ続けた私が上司のパワハラをきっかけに心理学と再び出会い半世紀を経て今、そのトラウマと生き辛さにようやく気付く事が出来ました。今まで考えもしなかった本当の自分の幸せと、自分らしく自由に活き活きと生きて行くために何をするべきかを考え取り組んだお話をします。

講座を習ったきっかけ

次に講座を習ったきっかけです。

 

きっかけは上司のパワハラでした。2年前に課長が代わりパワハラを受けるようになり退職を決意しました。

もともと産業カウンセラーの資格を持っていたので、カウンセラーとして独立を検討しました。そして、ととのえの講座を探しあて受講し、講座で課長のパワハラが分析出来た事で、課長を人事に訴えて何とかしてやりたいと思うようになりました。そして、本社の人事部にパワハラの事実を報告し課長にパワハラを認めさせる事が出来ました。後に、本人が私に謝罪をしたいと言って来ましたが拒否しました。

 

受講前はとにかく逃げたい、早く退職したいと考えていましたが受講後に気持ちの変化がありました。私だけでなく沢山の人が犠牲になっていたからです。こんな上司を野放しにしていいのか!?絶対許せない!私の正義が目を覚ました。そしてパワハラ上司を訴える事が出来ました。

ちなみに上司は今年の6月に自主退職をしました。何故、変われたのか?そもそも、私には間違っている事は間違っていると正しく懲らしめてやりたいという正義があります。その正義はどこから来るのか?まずは、自分の棚卸しをしました。

自分の棚卸し

次に自分の棚卸しです。過去の振り返りと機能不全家族に生まれ嫁いだ事です。

 

私が持っている“正義”について「直さんの正義だね」と奈美先生に言われハッとしました。「自分の棚卸しをしてみたら?」とアドバイスをくれたのも奈美先生でした。実は、私には壮絶な過去があります。

そこで、私の過去の出来事と気持ちの浮き沈みを年表にしました。ポイントは4つです。幼少期、いつも母と私が祖母にいじめられた。20代、結婚した夫は無関心なモラハラ夫でした。それだけでなく、結婚直後から義妹と義母が何度も何度も借金を繰り返し合計2,000万円という大金を私が背負う事になりました。40代、両親の交通事故で看護もしました。50代、上司からパワハラを受けました。

 

その時の感情ですが、幼少期、賢くて強い大人になって祖母を𠮟りつけてやる!20代、借金は私が何とかするしかない!私は、伊藤家を助けるためにイネーブラーとなってお金を出し続けてしまいました。イネーブラーというのは、良かれと思ってやっていることですが、結局その人の問題行動を助長させてしまう人のことを言います。例えば、アル中の人に『これが最後よ』と言ってお酒を与えるなどです。私も『これが最後だからね!!』と言って何度お金を渡したか分かりません。40代、保険会社に対抗出来るのは私しかいない!50代、パワハラ上司を何とかするしかない!

 

私はとくに、義妹と義母が許せませんでした。2人に対して怒りや悔しさが治まりませんでした!こんな気持ちがあったからです。『こんな歳でこんな大金を払うなんてあり得ない!お前らのせいで何で私がこんな苦しい思いをしないといけないんだ!悪いのはお前ら2人だろ!何度も繰り返しやがって!2人とも私に謝罪ぐらいしろよ!絶対許せん!!』

そんな気持ちで一杯でした。

義母と義妹が重ねた借金地獄は5年間にも及びました。字のごとく地獄の5年間でした。そして、30年間は借金返済に縛られた日々でした。

 

そんな私の正義が現れるタイミングがあります。幼少期、祖母は非を認めて謝罪をするべき!20代、自分でつくった借金は自分で返すべき!40代、保険会社は正当な損害賠償を払うべき!50代、パワハラを認めて謝罪をするべき!私は、理不尽なことが蓄積すると正しい方法で懲らしめて罰してやりたい気持ちになるんです!そして罰してやるために全て訴えました!!そんな、私の正義が最初に生まれたのは幼少期にありました。

 

実は、「正義」という正の感情は負の感情を置き換えて正当化しているだけなんです。負の感情とは何か?それが生まれた理由は育った環境にありました。

 

奈美先生のカウンセリングで考えてもいなかった事実が分かりました。我が家は、機能不全家族だったんです。機能不全家族なんて聞いた事もありませんでした。実は、機能不全家族と言われてショックでした。しかし、それが『正義』を作ったんです。そこで、私の家族について紹介します。

 

まず、機能不全家族とは家族全体が影響し合って問題があり上手く機能していないことを言います。機能不全家族の問題は、親子の関わり方、夫婦の関わり方、嫁姑問題です。実家の問題は、祖母と母による嫁姑問題が原因でした。機能不全家族の子供が取る行動は5つあります。父親、看護師、回避、緊張緩和、不適応行動です。私は頼りない父に代わって父親役として弱い立場の家族を守ろうと必死にやってきました。

 

実家の家族ですが、自分ルールを押し付ける威圧的な祖母。祖母の行いを止める事も出来ない頼りない父親。こんな家にはもういられないといつでも家出しそうな弱い母親。メチャ祖母に愛されている姉と弟。そして、祖母にいじめられる自分と母を助けたい私。祖母にはいつも𠮟られてばかりでしたが母にはとても愛されたんです。だから、私が母を守るしかないと思ったんです。祖母を止める事も出来ない頼りない父親に代わって私が賢くて強い大人になって母や私をいじめる祖母を𠮟りつけてやる!そして、母を守るんだ!と決めました。父親に代わって私が父親役でした。間違っている事は間違っていると正しく懲らしめやる!!という感情がこの時、生まれたんです。

 

このような家族を機能不全家族と言います。

なんと、私は機能不全家族に育って機能不全家族に嫁いでいたんです。

伊藤家もまた機能不全家族でした。伊藤家の問題は、無関心なモラハラ夫。私の言葉が気に障ると『本当に、お前は嫌な女やな!』とよく言われました。そして、勝手に借金を重ねるバカな義母への憎しみ。

 

伊藤家は、娘に言われるがまま借金を重ねるくせに、頑固で判断力に欠けるバカな義母。『ほっとけばいい!』と言って自分の考えが絶対的な夫。『お金を返せないと殺される!』と平気で噓を付いて自分の事しか考えない義妹。そして、責任感が強く、義妹と義母が作る借金を背負いながら何とかしなければと頑張る私。家族の誰も頼れず信じれるのは自分だけと考えました。だから、私が守るしかないと思ったんです。私は無関心な夫と考えのないバカな義母に代わって父親役として家を守ろうと必死にやって来ました。実家でも嫁ぎ先でも父親役をしていたんです。

自分の課題を考える

次に自分の課題を考えるです。一番辛かったのは、結婚してからの30年間です。

 

講座を受けて分かった自分の特徴があります。

講座では沢山の診断をしました。性格診断はNP、親切で包容力が高い。生き方戦略は優しい人戦略。インナ‐チャイルド診断は救済。イネーブラーだった、良かれと思って助けてしまいました。機能不全家族としては父親役。養育者から受け取った指示令がありました。完璧であれ、強くあれ、一生懸命やれ、他人をよろこばせろです。掘り下げると、何でも引き受けてしまうNP。役に立つ事が出来ると嬉しい。自分が犠牲になる事をしてしまう救済。自分が守らなければと頑張る父親役。自分は完璧でなければならない、頼れない、疲れても休めない、自分を犠牲にしてでも相手を喜ばせようとする。

 

これらに共通しているのは、自己犠牲です。

私が何とかしなきゃ!私しかいない!家族のため!ほっとけない!これらの考え方が自己犠牲なんです。

自己犠牲をするから苦しむんです。でも、私はそれでなければ生きて来れませんでした。全ては自分で選択した人生です。過去のトラウマや生き辛さから抜け出すには自分の心の整理整頓が必要なんです。何故なら、今も私は祖母、義母、義妹、夫を許せないままなんです。

 

許せない!本当に許せないんです。私に誠意をもって謝ってくれた事は一度もありません。お金も1円も返って来ていません。夫は私が一番辛い時に無関心のままで居続けました。これこそが私の最大の負の感情、怒りなんです。怒りがもっとも人を動かす感情だと言われています。これが私の課題であり正義の正体だったんです!どうしたらこの感情を解消出来るのか?

これからの人生をどうしたいか

次にこの感情の解消方法を含めてこれからの人生をどうしたいかです。

 

自分自身の生き辛さの根源が『許せない』怒りの感情と『自己犠牲』だと分かりました。

その感情の解消方法はあるか?『自己犠牲』をしないためにはどうしたらいいか?を考えました。解消方法については分からなかったので奈美先生にアドバイスをもらいました。『自己犠牲』については自分で考えてみました。『何がしたいのか?』『何が出来るのか?』『どう生きたいか?』です。

 

解消方法については以下をやってもらう事です。

義妹に謝罪をしてもらう、義母に謝罪をしてもらう、借金を返済してもらう、義母に家を出てもらうか私が家を出るです。

 

実は、今年の2月に義母が認知症になり8月に施設に入所をしてしまいました。義母が家を出れば私が出る必要はなくなりました。でも、義母には謝罪をして欲しかったんです。もう謝罪を受けるのはムリですが、入所前に義母に『もうあなたの犠牲にはならない!』と私の思いをぶつけてやる事が出来ました。お金については、10月に弁護士相談をして進めています。義妹に謝罪をしてもらうのはこれからですが、たとえ全てが完結しても“許す”事はそんなに簡単ではありません。でも気持ちは軽くなりました。簡単でない理由は、怒りは恨みへと変わるからです。私の怒りはとっくの昔に恨みへと変わっていました。

 

そして、自己犠牲をしないために、何がしたいのか? 何が出来るのか?については、思い通りに自由に生きるです。伊藤家のお墓には入らない!卒婚する!やりたい事をする!人に頼る!気の合う仲間と付き合う!正直に伝えて正直に行動する!です。

 

やりたい事をすると気の合う仲間と付き合うについては、昨年10月から登山を始めました。今は、登山仲間との時間を楽しんでいます。私にとっては、かけがえのない仲間であり、大切な友です。伊藤家のお墓には入らない!卒婚する!正直に伝えて正直に行動する!については、宣言する事が出来ました。人に頼る!はこれからやって行きたいと思います。言いたい事が言えたら気持ちが楽になりました。

 

そして、どう生きたいか?については自分らしく活き活きと生きる!です。壮絶な過去を本にして出版したいと思っています。話すという事は手放すことになりますし、過去の自分を解放する事にもなります。自分の心の整理整頓にもつながります。読者にとっては以下の気付きが得られます。自分自身の生き辛さの理由に気付ける、自分らしく生きるきっかけが気付ける、自分の幸せとは何かに気付けます。

最後に

最後に言いたい事があります。

 

これまでの人生を後悔したくないと思っています。

私は幼少期から過酷な環境で育ち、結婚してからの30年間は特に地獄でした。そんな私を救ってくれたのは2人のかけがえのない子供達です。私には生きる希望でありかけがえのない大切な宝物です。子供のおかげで愛と感謝を忘れない自分になれ、沢山の経験をした事で私は人の痛みを感じ思いやりの心が持てました。

 

人は皆、自分を褒めて認めてもらう事で自分の存在価値を見い出そうとします。私も幼少期から私という存在を認めて、褒めてもらいたかったんです。どんなに辛い選択も自分の存在価値のためでした。それがなければ今の私は存在しません。過去の辛い自分を救えなかった事を思い出すと今でも後悔がありますが、気持ちが満たされて後悔しなくなった事もあります。だからこれからは、もっとそんな自分になれるよう、私は私を認めてやりたいし、褒めてやりたいと思います。そして、これからは思いのままに生きます!

 

是非、本を出版したら読んで下さい!ご清聴ありがとうございました。