心理カウンセラー認定試験(第3期) 受講者の発表2

渡辺と申します。

これから発表する内容は、娘が不登校になった事で、心理学に出会い、私自身の「こうあるべき」を手放したことで、娘との絆や関係性が深まり、本来の自分を取り戻すことが出来たという話になります。

 

心理学と出会って あなたはあなた わたしはわたし

まずは私の自己紹介をいたします。   

現在中学1年になる娘との2人暮らしをしておりますが、娘が小学1年生の時にシングルマザーとなり、三重から地元の岐阜に移り住んでいます。 

 

私は、みんなとワイワイ、楽しいことが大好きで、物事をあまり深く考えない、大ざっぱな性格です。 

一方、娘は騒がしいところが苦手で群れを拒み、物事を深く考え、とても繊細な性格です。

 

先日も娘とジブリパークに行ってきたのですが、抑えきれないテンションで見て回る私に対して「ママ、一旦ちょっと落ち着こうか」と娘に言われてしまいました。

どっちが親でどっちが娘?みたいな親子関係です。

 

 

心理学に出会うまでの生活環境

当時の生活はというと、私は正社員として働き始め、とにかく職場環境に慣れるために必死でした。そして育児・家事と精神的にも余裕がありませんでした。

娘は、転校生として小学1年生の2学期から学校生活をスタートしました。しかし、周りには今までの友達はもう居ません。

小学1年生の娘は、学校が終わると学童保育に行き、私の迎えを待つ毎日で娘なりに学校生活に慣れるために必死だったと思います。

 

そんな中、起きた出来事。

娘が4年生の時、学校へ行けなくなってしまいました。いわゆる「不登校」です。

でも問題はそのあとの娘に対する私の言動や行動です。

娘に対し私は、

「何で行けないの!みんな普通に行ってるのに何で?学校楽しいのに何で?」

「ママだって仕事に行かなきゃいけないんだからしっかりしてよ」

と、責め立てるように言葉をかけていました。

 

なんで、なんで攻撃してますよね。なんで○○なの?いわゆる「尋問」です。

この時は行けないのは一時的な事、無理やりでも連れて行けばそのうちに行けるようになるだろうと、手を引いて学校へ連れて行く時もありました。

これに対し娘は何と言ったかというと、

行きたくない!楽しくない、学校が怖いの… 考えると苦しくなるの…、 最終的にはお腹が痛いとトイレにこもり、何を言っても返事すらしなくなるという毎日でした。

これを見ても分かるように、尋問からは言い訳やだんまりしか返ってこないんです。でもこの回答にイライラし、お互いが全然かみ合ってなく、何も変わることのない日々がただ過ぎていくだけでした。

 

さらに学校へ娘を連れて行けば、先生からは、

「お母さん、連れてこないでください、今は休ませてください、エネルギーが無いんですよ」と言われるばかりで、学校へ行くことに何のエネルギーが必要なのか?と理解出来ずにいました。

娘の事や、学校の先生から言われることが理解出来ない私、そして私に理解してもらえない娘は、お互いモヤモヤの中にいました。

学校へ行くのは当たり前。

みんなは普通に出来ているのに。

学校へ行かないと勉強も遅れちゃう。学校へ行かないとちゃんとした大人になれない。娘はちゃんと社会に出れるだろうかという不安な思いや焦り。

 

でもこれって、子供を持つ親なら誰でも思ったんじゃないでしょうか?

後で分かったんですが、こう思う理由には、条件付きの肯定的ストロークを子供にしていたからだったんです。つまり、「学校へ行くあなたを愛してるよ」とか「ママのいう事を聞くあなたを愛しているよ」ということです。

 

「学校へ行く」とか「ママのいう事を聞く」という条件を付けなくても、今のあなたを愛しているよという無条件の肯定的ストロークが当時の娘には必要だったんです。ストロークとは「心の栄養」ともいうようです。無条件の「心の栄養」を与えることで、娘の甘えの欲求が満たされ、愛されてる!大丈夫!と「大丈夫欲求」となり、愛情の根っこつくりにつながったんだろうと思います。

 

そして私は、仕事も家事も育児も完璧にこなさなきゃいけない、それが親の務めだと思っていたので、それが出来ない私は母親失格だと

私は自分を責めました。そんな私を見て、娘は自分を責めていました。

そんな娘を見てまた悩む私というように私と娘はモヤモヤな気分の毎日を過ごし落ち込んでいました。

この状況は、条件付き肯定的ストロークを私は自分にもしていたんです。

「仕事も家事も育児も完璧にする」「娘を学校に通わせる」というのが条件でこれが出来ればいい母親と思っていた事。

だから娘にも毎日学校へ行くこと、勉強を頑張ることを求めていたので、娘はそれに答えれない私はもう愛してもらえない、ママを困らせている私はもう居ない方がいいんじゃないかと生きる自信すら無くしていたというのがこの状況です。

 

でも決して私がダメ親じゃなかったんです。

学校でも「正しい子育ての仕方」なんて教えてくれませんでしたよね?

母親からも子育てに口は出されることがあっても、それって母親の考えであって正解じゃないですよね。

一番の問題は心理学の知識がなかったこという事だったんです。

「謎多きスクールカウンセラー」との出会い

そんな中、私に転機がおとずれました。

学校の先生からスクールカウンセラーの先生が毎月みえるから、娘も私もカウンセリングを受けてみないかと言われました。

半信半疑でしたが、何もしないよりはと、受けることにしましたが、ある時、スクールカウンセラーの先生から、娘がカウンセリングの最中に泣きながら、自分の思いを語ってくれたんだよと聞かされました。

それを聞いた時は正直ショックでした。私よりも娘の心をつかんでることに悔しくも思いました。

ですがその反面、どうやって娘の思いを聞き出したのか、「カウンセラー」という職業に興味も湧きました。

 

そしてもう一つの転機が地域情報誌に載っていた性格診断です。

これがなみ先生との出会いのきっかけになるのですが、地域情報誌に載っていた「性格診断します」の案内を見て、何もかもうまくいってない現状のヒントになればとすぐに申し込み、診断をしてもらったんです。

 

方法は、交流分析というカウンセリング手法をつかって、自分の性格をグラフ化したものと、先生との対話から診断していくというものでした。グラフからも、私は世話好き、楽しいことを思いっきり楽しめ、人とのかかわりが好きなこと、あまり頭で考えないなどというのが出ていて、やっぱりそうなんだという思いがありました。

 

しかしそんな性格の私ですが、私の口から出る言葉にはどこか力が無く、グラフからもエネルギー不足というのが出ていたようです。

そして最終的になみ先生に言われたのは、

「何か自分に自信を無くすことがあったの?」でした。

「えっ!何でわかるの!」母親失格だなと自身を無くしていた私だったので悩みの本質をズバリ見抜かれた私は、そこから娘の不登校で悩んでいる話をしました。

 

そして先生からまず言われたのは、「苦しかったね、よくがんばってるね、大丈夫だよ」という言葉でした。私は、苦しい思いを分かってもらえたという思いと同時に「私って、十分がんばってたんだ」と気づくことも出来ました。

「勇気をもって先生というカウンセラーに話せて良かった、今の私には、聞いてもらうこと、聞いてくれる人、とちらも必要だったんだ」ということにも気づきました。

その後、先生から心理学の話を聞き、娘のスクールカウンセラーの事もあり、興味がわいたので娘の為、自分の為になればと、すがる思いで学ぶことにしました。

心理学を学んでわかったこと

心理学を学び、わかったことは

・幸せ実感 「知って」「わかって」「認めて」「ほめる」

・「聞く」と「聴く」

・「価値観の押し付け」

・「べき思考」 

です。

 

幸せ実感 「知って」「わかって」「認めて」「ほめる」 

興味をもってあげる、気持ちを分かってあげる、存在や価値を認めてあげる、出来ている事、がんばっている事をほめてあげるという事が大切という事です。

そしてこれは相手に対してはもちろんですが、自分の事も、自分で、興味をもってあげる、気持ちを分かってあげる、存在や価値を認めてあげる、出来ている事、がんばっている事をほめてあげることが大切なんだという事。

先程も出てきましたが、ストローク=心の栄養ですね。

無条件の肯定的ストロークは心の栄養となり、この栄養物をたくさん受け取る事で心が満たされ幸せ実感となるという事が分かりました。

 

「聞く」と「聴く」

つぎに、耳だけで「聞く」と心で「聴く」では全然違うんだということです。

普段、何か他事をしながらの「ながら聞き」をしていないだろうか。

娘の気持ちとしっかり向き合い、視線を合わせて心で聴く「傾聴」がとても大切でそこから信頼が生まれ、より相手を理解することにもつながるという事です。

一生懸命話している時に、目も合わせずにいいかげんに聞き流されるのって悲しいですよね。

例えば、病院とかで私はよく思ってしまいますが、「今日はどうされましたか?」と先生はこちらも見ずに質問し、私が答えた事をパソコン内のカルテに入力するというやり取りを繰り返したあげく、さらっと病名を言うみたいな時は、「何が分かったの?」と不信に思ってしまいます。

 

「価値観の押し付け」

つぎに価値観の押し付けとしては、正しい事かどうか分からないのに、親が言う事がすべて正しいことのように娘に私の思いを押し付け、無意識に親が上、子が下という支配関係をつくっていたということが分かりました。

 

「べき思考」

つぎに、当然~すべきだ、絶対~でなくてはならないという「べき思考」な考え方をしてそれによって出来ていない自分や相手を責めていたという事です。

まさにここでいう「学校へ行くべきだ」「母親なら家事や子育てを完璧にこなさなければならない」と思っていたという事があてはまりますよね。

 

心理学を学べば学ぶほど、「これ私、娘にやってたな~」「だから娘はそうなんだ」などと思い当たる事が多く、反省することもありましたが、「結局すべて私なんだ、今からでも遅くない!私が変わればもしかして娘も変わるかも!」と思うように変わっていったのす。

いま私が大切にしていること

「傾聴力」をつける

それを踏まえて私が今大切にしている事は、まずは「傾聴力」をつけるという事。

最後まで話をしっかり聴き、基本感情に寄り添い、共感するという事が話しをしっかりと聞いていくうちに感情面の言葉は必ず出てきます。

例えば、ある時、娘が「今日学校で嫌な事があったの、今班長をやってて、でも班の子が全然協力してくれなくて、全部仕事を私に押し付けてくるの」と言いました。

それに対し私は、「そうなんだ、その時どう思ったの?」と聞き進めると、何で分かってくれないのとか、悔しかったとか、まとめられない私って情けないなと思ったよなどと、聞いていくといろいろな「不快な」感情が娘の口から出てくるんですよね。その感情面をしっかり聞き、「そうだったんだ、班長だからって全部仕事を押し付けてくるのはおかしいよね、それで悔しい思いや情けない思いをしたんだね、何で分かってくれないの?ってそりゃあそう思うよね」と娘の思いに共感することが出来ました。

 

一緒に考え、やってみる

つぎに一緒に考え、やってみるという事。

これは、自分の思いで決めず、同じ目線になって一緒に考え行動に移すという事です。

例えば、娘が「明日学校へ行こうかな?」「でも行けるかな?」「やっぱり休もうかな?」と迷いや不安な気持ちを言った時、「じゃあ休んだら」ではなく、「じゃあどうやったらその不安が無くなるかな?どうやったら行けるかな?」「ママに何か出来ることあるかな?」などを話し合い、学校まで送って行くとか教室じゃなく別室で授業をリモートで受けるとか、お互い出来る方法を一緒に考えています。

 

その他には、去年、娘の推しのライブに行ったんですが、どんなグッズを買おうかとかペンライトやうちわなどの持ち物を用意したりと準備から一緒に楽しみました。

娘が興味をもっているものを聞いたり教えてもらったりして、やってみると意外に私の方がハマったり、子供の気持ちもより分かるんですよね。

 

頑張らない

つぎに、頑張らないという事。

これは娘から学びました。

人に頼ったり、辛い苦しい思いを口にすることも大切で、疲れたら休む。

そしてこの休むという事は決して逃げや無責任な事じゃないという事です。

でもこれは完璧主義の私にはとても難しく、何でも自分でやらないと気が済まないところもあるので、少しづつですが仕事面では、職場の上司や同僚に娘を優先したいという事を話して、理解の上、仕事の調整をしてもらったり、実家の母にも娘の送迎をお願いしたり、と頼れるようにもなりました。

家では、「休息日」を作って、今日はダラダラしよ~と家事を手抜きすることもあります。あとは娘にもママ疲れちゃったから、家事を手伝って欲しいとお願いして、洗濯を干したり取り込んだりやご飯を炊くのを手伝ってもらっています。

これらによって、時間に余裕が出来、身体も心もすごく「楽」になりました。

そして今は自分らしくいられ、娘とのコミュニケーションも増え、我が家では笑顔が増えました。

 

人は幸せになるために生まれてきて幸せになる権利がある

最後に私が心理学講座を受講した中で一番感銘を受けた言葉をお話しします。

「人は幸せになるために生まれてきて幸せになる権利があります」

受講中、この言葉を聞いて思わず泣けました。

「そうだ幸せになっていいんだ、娘と一緒に幸せになろう!」と心に強く誓った言葉です。

 

そしてもう一つは今回のサブタイトルにもしましたが、ドイツの精神科医パールズのゲシュタルトの祈りから「あなたはあなた わたしはわたし」という詩です。

カウンセラー養成講座の表紙に書かれている言葉ですが、ここだけ聞くと、「あなたの事なんて知らないよ」という冷たい言葉のように聞こえますが、心理学を学べば学ぶほどその言葉の意味が違うという事がわかりましたのでご紹介します。

 

わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。

 

わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、

 

あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。

 

わたしはわたし、あなたはあなた。

 

もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。

 

しかし出会えないのであれば、それも仕方のないことだ

 

いかがでしょうか?

私なりに思うのは、私と娘の親子関係ってこういう事なんだと思いました。

つかず離れず、必要な時に必要な支援が出来る関係で、決して自分の所有物にしないという事なんですよね。

はじめは冷たいと感じた言葉も今はすごく愛を感じるんです。

 

最後になりますが、

私は娘のおかげで心理学に出会い、学び、自分を知り、娘を知り、

今私は、母親をやりなおしています。

そして、今日会場に娘が居ますのでこの場を借りてお礼を伝えたいと思います。

「いつもありがとう、産まれてきてくれてありがとう」

 

以上で発表を終わります。