心理カウンセラー認定試験(第3期) 受講者の発表3

こんにちは。今日は私が心理学を学んで息子の不登校や夫との不仲という問題をどのように解決したのかをお話したいと思います。

テーマは「小さな気付きの積み重ねが自分を変える~機能不全家族からの脱却」です。

自己紹介

まずは私の簡単な自己紹介をします。

東京都生まれの千葉県育ちです。結婚を機に夫の赴任先である岐阜県中津川市に住み始め、現在は在宅で教育関連の仕事をしています。最近花粉症デビューをした52歳です。目がしょぼしょぼして困っています。

 

次は私の家族構成を紹介します。夫と子供3人の核家族です。

心理学を始めたきっかけですが、元々心理学には興味があって個人的に本を読んではいました。改めて心理学を勉強してみようと思ったのは、性格診断のイベントでなみちに再会して誘われたのがきっかけです。

心理学を学ぶ前の我が家の状況

私は在宅で仕事をしながらほぼワンオペ育児をしていました。私の体調も悪く、バセドウ病という甲状腺の病気の治療中で起きていられない程目眩がひどく、必要最小限の家事と仕事をする他は、ほぼ寝ている状態でした。体調が悪いことは夫や子供にも言いたくなかったので、家事が滞っていると夫から文句を言われても言い返さずに黙っていました。

 

また息子は小2の終わりごろからその兆候があったのですが、小4で不登校となりました。また息子は苛立ちから壁をものすごい勢いで蹴ったり、当時幼稚園生だった妹を蹴ったりと暴力を振るうこともありました。

 

夫は・・・というと、私は体調が悪いので休みの日位はゆっくり寝たいと休みがち、子供達も留守番ができるようになって親と一緒に出かけたくないと言われてからは、休みの日に家事育児をすることも無く、勝手に予定を入れて自分だけ遊びに行ってしまうという状況でした。本当にありえない奴ですね。正直今でも許せないです。

 

心理学を学び始めた時は「とにかく色々辛かった」です。

 

家族から色々と文句を言われるが言い返せない

夫に自分の辛い気持ちを味合わせて復讐してやりたい

賃貸に住んでいるので、息子が壁を蹴って穴が開いたらどうしよう

息子が下の子のお腹を蹴ることがよくあり、死んでしまったらどうしよう

不登校の息子がこのまま成長してニートになったらどうしよう

 

息子には「生きているのが辛いから殺してくれ」と言われましたが、私も自分が可愛いので犯罪者にはなりたくないし、お腹を痛めて産んだ子供からそんなことを言われるなんて思いもしませんでした。

夫との関係も悪く正直離婚したかったのですが、体調が悪く子供を養える程のお金も稼げないから離婚できないし、かといって夫と一緒に同じ空間で息をするのも辛い。夫との会話は用件のみの事務連絡で基本は無視、それか本当に頑張って塩対応をするのが限界でした。

 

そんな感じで生きているのが辛い、このまま消えてしまいたいと度々思っていました。結局自分でもどうしていいのか、どうしたいのか分からない状況だったのだと思います。そんな時に保育園の時、役員を一緒にやっていたなみちに再会し、一緒に心理学を勉強しようと誘われたんですね。自分自身辛いし、どうしたいのか分からないなりにも、とにかく何かしないと駄目だと思ったのです。折角誘ってもらったのだから、とりあえずやってみよう、といった軽い感じで心理学を勉強することにしました。

 

この図は心理学を学び始めた時の私の状況を性格診断でグラフ化したものです。性格診断では人間の性格を6つの要素に分けてグラフ化して表しています。

グラフの黒い線が家の外での私、青い線が家の中の私です。このグラフで家の外と家の中の自分が大きくかけ離れている所について説明します。まずは合理的判断を下すアダルト(A)についてです。家の外では仕事をしたりPTA役員をやったりと自分で考えて行動できるのに対し、家の中では思考が停止した状態であるため家族に文句を言えず黙っていることがわかります。

また、一つ右のフリーチャイルド(FC)は、好奇心旺盛で自由な子供らしい部分を表しています。家の外ではFCを発揮して楽しさを追及できますが、家の中ではFCの要素が抑えられており、楽しめない状況となっています。この家の外と中のグラフの差がギャップとなり、ストレスとなっているのです。

この頃私はテレビでお笑い番組を沢山見ていました。家の中ではお笑い番組を見る時位しか声を出して笑えなかったのを覚えています。それ位辛かったですね。

心理学を学んで自分を見つめ直した

次は自分を見つめ直すために心理学を学んで何をしたかを話していこうと思います。

まずは先程出したグラフの性格診断です。

グラフで見える化することにより、自分の心の状態がより明確に分かるようになります。そのことで自分の考え方や行動の癖が分かり、困ったことが起こった時にもどのように対処すれば良いのか分かるようになりました。

 次にカウンセリングでぐちゃぐちゃになっている自分の気持ちや辛い気持ちを吐き出して受け止めてもらい、少しずつ心の整理をしていきました。

それから自分の心の中のモヤモヤを言語化するようにしました。これは分かりにくいとおもいますので、家族から家事が滞っていると文句を言われた時に心がとてもモヤっとしたことを例として話していきます。

 

まず文句を言われた時に自分がどう感じていたのか、本当はどうしたかった、どうしてほしかったのかを思いつくまま言葉に出したり書いたりすることで、モヤモヤしていたものが言語化されます。

次にその言語化された心のモヤモヤが、基本感情の喜び・喜べない・悲しみ・恐れ・怒りのどれに当てはまるのかを検証します。今の例では私は自分なりに家事を頑張っているのに、それを認めてもらえないことが「悲しい」のだと気づきました。そしてその「悲しみ」が何回も積み重なることで、自分を認めてもらえないことに対する「怒り」の感情が湧いて来ることも分かりました。この例だと心のモヤモヤに「悲しみ」と「怒り」という名前がつき、自分の中でスッキリするということです。

これを身体で例えると、喉が痛いとか熱っぽいと感じて病院に行き、医師から「風邪」と診断された時に、あ~やっぱり風邪だったのねと納得する感じと言えば分かりやすいでしょうか。

 

それから他の受講生さんの話を聞くことで、自分の悩みが自分だけの事ではないと分かることで少し楽になりました。

更に、自分と同じような出来事でも他の人の話は他人事(ひとごと)と客観的に聞くことができるので、合わせて自分の事も冷静に振り返ることができました。

 

講座やカウンセリングを受けていく中で「自分は変えられるが他人は変えられない」とよく言われたのですが、中々自分を変えることはできませんでした。

自分を変えられないのはなぜか

例え今の自分が辛い「不快」な状況にあっても、その「不快」な状態から楽であるはずの「快」の状態に変わることが恐いから自分を変えられないのだということも分かりました。

これは子供の頃に残した物、すなわち言い残し・甘え残し・食べ残し・思い残し・遊び残しがあることに原因があると言われ、子供の頃の自分を振り返るインナーチャイルドセラピーを受けることにしました。

子供の頃を振り返る時に、親に言われて今でも自分の心に残っている言葉を想い起してみました。これが自分の中のインナーチャイルドに深く関わっています。

 

一つ目は「テストで100点を取るのは当たり前」

これは小学生の時父に言われた言葉です。私はとてもケアレスミスの多い子だったので、100点じゃない時も沢山ありました。テストで100点を取って帰って来ても、こんな風に言われてしまい親には褒めて貰えませんでした。逆に小2の時に60点を取って未だにそのテストがなんで60点だったのかも納得していないのですが、そのテストを持って帰った時に物凄い剣幕で親に怒られたことは覚えています。私の親は怒ると物凄く怖かったし、怒られるとミミズ腫れができる位叩かれたりしていました。また同じ幼稚園だった同級生の親同士の繋がりから、学校のテストが返ってきたこともちゃんと知っていたようで、悪い点数のテストを隠して遣り過ごすなどということはできませんでした。

 

今思うと結局100点を取っても取らなくても褒められもせず怒られるだけなので怒られ損ですよね。子供は子供なりに頑張っているのに納得いかないなぁと今でも思います。ここで100点、完璧でなければならないという間違った思い込みが作られました。

次に出てきたインナーチャイルドは「あんたは手が掛からなくていいね」という言葉でした。

これは私が大きくなってから聞いた話ですが・・・私の兄は生後10か月の頃、頭に大けがをしました。担当した医師からは諦めて下さいとまで言われたそうです。兄は助かりましたが、頭の手術をした後遺症で幼い頃は発達が遅れており、検査のため時々病院に通っていたそうです。運よく兄の受けた手術は後遺症の少ない方法だったそうで、成長に伴い発達の遅れは無くなりました。当時の兄と比べれば、私は一度脱水症状を起こして死にかけた位ですから、母親の立場からしたらそう言う意味でも手が掛からない子だったのでしょう。

 

しかし私は子供の頃「あんたは手が掛からなくていいね」と母から言われた時、私は人に迷惑を掛けてはならない、人を頼ってはならない、と強く子供心に思ったことを覚えています。こうやって間違った思い込みは作られていくのですね。

最後に子供の頃に言われた言葉で心に残っているのは、

「あんたは橋の下から拾って来た」と言う言葉です。この言葉を聞いて皆さんはどう思われますか?中には自分も親から言われたり、自分の子供に向かって同じような言葉を言ったりしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。でも私はこの言葉に深く傷つき、今でも苦しい思いを抱いています。

 

親から冗談のように笑いながらそう言われたこともありましたが、私が親の気に喰わないことをして怒られた時にも「あんたは橋の下から拾って来た子だから、もう一度橋の下に捨てて来る」と言われたので、子供の頃の私はこの言葉を冗談と受け取ることはできませんでした。そのため、自分の家で自分の母子手帳もちゃんとあるのに、私は橋の下から拾って来た子だからこの家には私の居場所が無い、人を頼ってはならないとより強く思うようになりました。ここでもまた間違った思い込みが作られてしまったのです。

 

こうして私は子供の頃にこのような間違った思い込みを抱いてしまいました。

 

自分一人で完璧にできないと自分は愛されない

いい子でなければ自分の存在価値は無い

いい子でないと捨てられてしまう

 

子供の頃は「いい子」でなければならないというだけで済みましたが、結婚してからは「良い妻・良い嫁」でなければならない、子供を産んで母親になってからは「良い母」でなければならないと、自分を縛るものが更に増えていきました。

そして「いい子・良い妻・良い嫁・良い母」であることにこだわるようになり、家の中でトラブルがあっても「家の中が丸く収まるのならば自分が我慢すればいい」と自分の意見を飲み込んで我慢するようになりました。

しかし私の心身共に限界が来て、家の中も滅茶苦茶で酷い状態になってしまいました。

 

また、心の中が滅茶苦茶なので「事実」を「事実」として客観的に受け取ることができず、何を言われても私自身の事を否定されたと解釈していました。このため、家の中でも歪んだコミュニケーションを取ってしまい、喧嘩になってしまうことが多々ありました。

例えば夫に「料理の味が薄い」と言われたことに対して、料理を作った私自身を否定されたと歪んだ解釈をしてしまい、自分を否定されたことに対して激しい怒りを覚えてしまうのです。

 

激しい怒りを感じた私は「文句があるなら自分で作れ」と夫に言い返してしまい、家族で楽しい食卓を囲んでいたはずが一転して食卓が険悪な雰囲気のバトル会場になってしまうのです。

「自分の好きに味を足してね」と当時の私が言うことができれば、そのまま楽しく食卓を囲めたのかもしれません。

そして私が心理学を学んでアドバイスされたことは、

 

・自分の意思を言う

・我慢をして自分の気持ちを飲み込まずに自分がどうしたいか、どうしてほしいのかをはっきり言う。

・躊躇しない

 

これは行動する時に躊躇しない、心のブレーキを掛けないで思い切って行動するということです。

分かりにくいと思いますので、具体的にどのようにしたかを次のスライドで説明します。

具体的にやったことの一つ目は、小さなことから言ってみるということです。

今までずっと自分の意見や意思を飲み込んで黙っていたので、まずは本当に些細な小さなことから口に出してみることにしました。

例えば家族に何か「やって」と頼まれても今まではやりたくなくても渋々やっていましたが、「やりたくない」「嫌」「自分でやって」と言って頼まれたことをやらずに断ってみました。すると私がやらなくても家族が時々自分達でやってくれるようになりました。また疲れていて夕食を作りたくない日に、今までは節約しなくちゃと嫌々料理をしていたのですが、それを止めて「今日は夕食を作る気力が無い、夕食を作りたくない」と言ってみました。それなら今日は外で夕食を済まそう、買い物に行って何か買って来ようと私が料理をしなくてもいい方法を夫や子供達が提案してくれるようになりました。

 

このような家族の態度に私自身も

「あれ?自分の意思が否定されなかった!『お母さんだからこれ位はやって当たり前』じゃなくていいんだ!」

「『これ位のこと』は言ってもいいんだ!」

という気づきを得ることができました。

 

次に具体的にやったことは、自分で全部頑張らず他人に任せてみることです。

何を任せてみたかと言うと家事育児やPTA役員の仕事です。

最初はどのようにして欲しいかを説明するのが面倒で、やりたいこととやらなければならない事を全部自分でこなしていました。しかしやることがあまりにも多くなってしまい、ついに自分一人ではこなしきれなくなりました。そこで思い切って人に頼んで任せてみました。

 

最初は100%自分の思う通りの出来栄えではないことも有りましたが、逆に人に頼んだ方が良い出来の場合もあり、人に頼んで良いんだ、他人に助けて貰っていいんだと気づきました。

他人に任せられるようになったことで、必要以上に自分一人で仕事を抱えなくても良くなり、自分自身も楽になりました。

私の場合は先程挙げた2つの例のように、いきなり大きな目標を掲げて行動するのではなく、自分の中でこれならばできそう、と思える抵抗の少ない些細なことから試してみたのが良かったようです。

そこで「うまくいった!」「これは言っても大丈夫」「これはやっても大丈夫」といった小さな成功体験を繰り返すことで、他のことも試してみようと思えるようになりました。

 

自分自身に許可が出せるようになったことで本当に少しずつですが、自信がついてきました。

自信がついてきたことで自分自身を少しずつ認めて肯定できるようになり、生きることが楽になりました。

更に心理学を学んで行くうちに、私はある一つの気づきと言うか疑問に直面しました。

 

私の家って、もしかして機能不全家族?

 

いきなり機能不全家族と言われても何のこっちゃ、と思う方もいらっしゃると思いますので、少し機能不全家族について説明します。

Wikipediaでは機能不全家族とは「子育て」「団欒」「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきと去れる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す。と書かれています。

 

ここでもう少し具体的に機能不全家族の特徴を説明します。

 

  • 愛情の感じられない冷たい家庭
  • 親が子供に過大な期待を抱いている
  • 世間体を気にする外面の良い家庭
  • 過度の甘えが許される
  • 親の愚痴を子供が聞いたり子供が親の世話をしたりと親と子供の立場が逆転している
  • 身体的、心理的、性的虐待
  • 突然キレて怒りを爆発させる家族がいる
  • 親が情緒不安定
  • 依存症の家族がいる
  • 親が不仲
  • 親が不在がち
  • 家族に秘密が多い

ここに挙げたうちのいくつかは、今私の話を聞いて下さっている方にも当てはまるかもしれません。しかし、完璧な家族などどこにもなく、これらのことが当てはまっていても当たり前なので大丈夫です。

 

ざっくりまとめますと、機能不全家族とは子供が子供らしく家で安心して過ごせない、リラックスできない家族だといえます。

このような家族は子供にとって家族としての機能を果たしていないので、機能不全家族と言われるのです。

実際に我が家はどうだったかと言いますと、まず私の実家がそもそも機能不全家族でした。

というのも私の両親は共に母子家庭だったため、父親不在の機能不全家族で育ったからです。経済的な事情で進学できなかったという親の学歴コンプレックスから、有難いことではあるのですが、子供に対して教育面では多くのお金を掛けてくれた反面、いい成績を取る、学歴をつけるという親の過大な期待を背負うことになりました。また子供の心を傷つける冗談を言ったり、自分の気に入らないことがあると叩かれたりもしました。私の感覚だと、親の敷いたレールから少しでも外れると全力で親が矯正しにくるような感じです。

 

そんな機能不全家族で育った私が結婚して家庭を持ったのですから、やっぱり今の家庭も機能不全家族になっていたのです。

私は家族を支えるために夫と子供を優先して自分の事は常に後回しにしていました。先に話したように我慢を重ねることで無理がたたり、私自身は体調を崩して情緒不安定になりました。また夫とは離婚したいと思う位夫婦仲が悪く、息子は不登校で壁を蹴ったり妹に暴力を振るったりという状態で、家の中も片付かず散らかっていました。

 

機能不全家族で問題となっているのは、家族という「人」そのものではなく、あくまでも家族の「関わり方」に問題があるということです。大事なのは家族の「関わり方」が問題であるということを皆さんの頭の片隅にでも入れておいて欲しいと思います。

我が家の場合では、不登校の息子との親子関係と夫婦仲の悪い夫と私の関係が問題であり、それぞれの関わり方が悪いことが原因で家庭内に悪循環が働いていました。

 

次はどうやって我が家が機能不全家族から脱却できたか、ということを説明します。そのためには私と夫と子供それぞれの関係の改善を図る必要がありました。悪循環はどこから断ち切っても良いと聞いたので、できる所から少しずつ、ということでまずは一番取り組みやすかった私と息子の関係から見直すことにしました。

当時息子は不登校で、息子が学校に行けないことに私は大きな不安と焦りを抱いていました。

息子が体調を崩して病院に行った帰りだったと思うのですが「昼ごはんに餃子が食べたい」と息子が言ったので、スーパーで餃子を買って帰り、フライパンで焼いていました。もうそろそろ焼けたかなと思った時に餃子をフライパンから取り出そうとしたのですが、まだしっかり焼けていなくて餃子の皮がフライパンに張り付いてぐちゃっとなってしまいました。

このぐちゃっとなってしまった餃子を見て「あーまだひっくり返すのが早かったかぁ」と思った時に、ああ、今の息子もこの餃子と同じだ、焼けてない餃子を無理にひっくり返して駄目にしてしまったように、無理矢理息子を学校に行かせてはいけないんだ、と思ったのです。

そして餃子が焼けるまで待つのと同じように、息子が学校に行けるようになるまで待つのが親の仕事なのだ、と腑に落ちたのです。

それから私は息子の学校へ行きたくない気持ちを認めることができるようになり、息子が学校へ行きたいと言い出すまで待てるようになりました。

 

これで私から息子への関係が改善され、悪循環の一つが無くなりました。

こうして私と息子の関係が落ち着いた後に、夫と息子の関係にも変化がありました。

私と息子の間で「今日は学校を休む」ことで話がまとまった後から「学校へは行くべきだ、休むなんてありえない」と夫が口を出してきて話を蒸し返してしまい、また話が振り出しに戻ってしまうという事が何度もありました。私も夫に口を出さないように頼んではいましたが、夫は聞く耳持たずで「学校へは行くべきだ」と自分の意見をひたすら私と息子に押し付けてばかりでした。私からすると「偉そうに何を言っとるんじゃ」って感じですね。

ところがある日、私と息子が話をしている横から夫が口を出してきた時、息子が「自分は今お母さんと話をしているのだから、お父さんは話に入って来るな」と泣きながら抗議したのです。他にも「お父さんは自分達子供にお風呂に入ってから寝ろというくせに、そう言うお父さんはお風呂に入って寝ないのはおかしい」等と、夫の言動に矛盾があることを息子に指摘されるようになってから、夫も息子に自分の価値観を無理に押し付けることが無くなりました。そして、夫と息子の間にあった悪循環も無くなり、関係が改善されていきました。

 

最後に私と夫との関係ですが、

家事が滞っていると夫から文句を言われたときに、今までは黙って何も言わずに寝ていましたが、思い切って「できないものはできない」と言い返しました。

また、部屋が片付いていないことについて文句を言われた時に「私は片付けができないみたいだから、きちんと片づけて欲しいのなら家に業者を呼ばないと無理」と言うと、そのうち文句を言わなくなりました。

その後、家の片付けにはなみちととみーに来てもらいました。

私と夫の間の悪循環もようやく断ち切ることができました。

 

こうして私と息子、夫と息子、私と夫の関係が改善したことにより悪循環が無くなり、家族間の不適切なコミュニケーションが減りました。そして、我が家は機能不全家族という状態から少しずつ改善していったのです。

 

息子は我が家のトリックスター

これは機能不全家族だった我が家で息子が担ってくれた役割です。トリックスターという言葉には「変革者」「秩序を破壊する者」と言う意味があります。

我が家の場合では「秩序」が機能不全だった状態を指します。たとえ家の中がどんなに酷く悪い状態でも、それが保たれていれば「秩序」なのです。トリックスターすなわち「秩序を破壊する変革者」が、この家族は変わらなければならないと自分の身を挺して教えてくれているのです。

我が家の場合、息子がトリックスターとなって機能不全家族から脱却するきっかけを作ってくれました。

私は心理学を学んで、多くの小さな気付きを得ることができました。それらを積み重ねることで自分の意思を少しずつ出せるようになりました。

 

自分の意思を出すという行動ができた、という事実を増やしていくことで自信も少しずつ付けることができました。そして、行動できたことで更にもう少しやってみようと挑戦できるようになり、良い行動サイクルができたことで少しずつ自分を変えることができました。その結果、自分が変わったことで家族との関係も変えることができました。

そして我が家はこんなに変わりました。

まず不登校だった息子は、担任の先生と相談して自分がどうしても辛い所だけ行かないという選択を認めてもらうことで、学校に行けるようになりました。そして進級してからはほとんど休むことなく学校に行くようになりました。中学、高校に進学してからも本当に体調の悪い時だけしか休まずに通い、大学に入った今は皆勤で通っています。

 

更に息子が学校に行けるようになってから何年か経った後「不登校するなら進路に影響が出るから早めにやっといた方がいい」とまで言うようになりました。親の私からすると「どの口が言うとんのじゃ」と息子の口を捕まえて言いたい位です。それから私や夫に対しても口答えではなくしっかりと自分の意見を言えるようになり、冷静に話し合いをすることができるようになりました。

 

次に夫ですが、「学校へは行くべき」などといった「かくあるべき」という価値観の押しつけをすることが以前より少なくなりました。そして以前よりも家事をやってくれるようになりました。今は朝食を夫が作り、なぜか風呂掃除にハマっています。これは家事を一手に引き受けていた夫の母が白血病に倒れ亡くなったことと、私が足を怪我して一か月ほど松葉杖で生活せざるを得なくなったことで、家事を家の中の誰か一人に任せきりにしておくのは良くないと夫自身が感じたこともあると思います。

 

最後に私自身のことですが、家の中でも少しずつ自分の意見を言えるようになりました。険悪だった夫との関係も今までの恨み辛みがあるため、まだ完全に仲直りしたとは言えませんが、夫婦で買い物に出かけたり時々晩酌したりする位には改善しました。

最後に心理学を学んだことを生かしてハッピーに!ということで、私が心理学を学んで実感したことは、

  • 気付きは行動することから得られること
  • 自分が変わると周囲も変わるということ

の2つです。

私の経験がここにいらっしゃる皆さんの何かの参考になったら幸いです。

心理学を学んで次に変わるのはあなたです!

以上で私の発表を終わります。

ありがとうございました。